近隣諸国も「代表」に熱く
サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は12日、スペインの初優勝で1カ月間にわたる激戦の幕を閉じた。国家の名誉、国民の意気をかけて闘う世界最大のスポーツ祭典だけに、今大会も数々の物語を残した。サッカー弱小地域のアジアから、韓国と日本がともにアウエー初の16強に進出したこともその一つ。
W杯本戦出場のアジア枠(4・5=純然枠4+オセアニア地区とのプレーオフ勝者)はこれまで、サッカーをアジアに広めるための配慮、つまり「普及枠」扱いされてきた。韓日両国の活躍はアジアを底上げし、アジア枠の維持に貢献するにとどまらず、南米・欧州という牙城に肉薄して、サッカー地政学に変更を迫る可能性さえ示した。
サッカーW杯は国民の一体感を盛り上げる。アジアではそれにとどまらず、自地域代表の奮戦に熱狂し、感動を広げた。人口13億5000万の中国をはじめ、タイ、マレーシアなどアジア諸国が韓日両国に熱い声援を送ったことはよく知られている。両国の奮闘は、アジアの人々にまた一つの希望をもたらした。
そればかりではなく、韓日両国は改めてお互いの強みを率直に学び、切磋琢磨し合う良きライバルとして再認識したのではないか。両国は今後、アジアのなかのライバルの次元を超え、世界を舞台にしたそれへと変貌しよう。それはまた、各分野の韓日関係そのものの未来図を明るく照らし出す予感に満ちている。スポーツライターの慎武宏氏が寄稿した。(編集部)
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キャプテンとして韓国代表の大黒柱を担った朴智星(左)。後継者の登場が望まれる |
強豪恐れぬ〞新世代〟
「弱小地域」とは言わせない
心を打った果敢な攻め
国中が赤く染まった2002年ワールドカップ(W杯)から8年。ふたたび韓国が〞赤い熱狂〟で沸いた。遠く離れた南アフリカで行われた〞世界蹴球大戦〟で「アジアの虎」が見せた躍進劇に、韓国全土が興奮の坩堝(るつぼ)と化した。
それも当然だろう。何しろギリシャ、アルゼンチン、ナイジェリアといった世界の強豪たちとしのぎを削り、グループリーグを2位で通過してのベスト16進出。W杯でのグループリーグ突破はベスト4まで駆け上がった02年大会以来のことだが、その快挙は02年大会と比べても遜色ない。
8年前は地元開催で、ホーム・アドバンテージが有利に働いた。今回は違う。縁の薄いアフリカ大陸での快挙だけに価値があり、世界からも評価されたのだ。
「韓国はスピードと躍動感にあふれている」(ドイツ『キッカー』紙)、「韓国は速いスピードとスリルあふれるプレーを展開した」(米国『ESPN』)、「韓国はヨーロッパやアフリカのチャンピオン相手にも恐れることなく対等に闘った」(中国『新華社通信』)
実際、今回の韓国代表の戦いぶりは、堂々としたものだった。例えば初戦のギリシャ戦だ。04年欧州選手権王者を相手に、互角どころか圧倒するサッカーを展開。洗練されたパスワークと安定した試合運びは、アジア・レベルを抜け出した印象すら与えた。続くアルゼンチン戦の大敗ショックを引きずらず、大一番のナイジェリア戦できっちり結果を残したところに、今回の韓国代表の強さがある。
先制されても追いつき、最後まで勝負を諦めない。受け身に回らず攻撃を仕掛けていく果敢さは、ダイナミックで魅力的に映り、見る者たちの心を打った。韓国サッカーの成長を実感した人々も多いだろう。かく言う筆者もそのひとりだ。
96年から韓国代表を追いかけてきた。かつての韓国代表は戦う前から必要以上に硬直し、サッカーも一途だったが、言い換えれば「ガムシャラ」なだけだった。
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国外大会初の16強進出で韓国チームは世界レベルの実力を証明した |
個の充実がやっと実る
端的なケースが98年フランス大会だ。極度に緊張していた選手たちは初戦のメキシコ戦では先制するも逆転負けを喫し、オランダ戦では相手とスタジアムの雰囲気に飲まれ0‐5の大敗。1‐1で引き分けた最後のベルギー戦で死力を尽くす姿は感動的だったが、一本調子で決め手に欠いた。
名将フース・ヒディンク監督に率いられた02年大会のチームも、激しさと粘り強さはあっても、「巧さ」や「余裕」はなかった。ディック・アドフォカート監督が率いたチームは02年大会の遺産を頼りに戦っていた印象が強かった。しかも、02年と06年は国内リーグよりも代表強化を優先した短期集中の突貫工事でチームを作り、経験豊富な外国人監督の戦術や采配マジックに頼るところが大きかった。
今回は、FIFAの代表招集規定に則った限られた準備期間でチームを強化し、指揮官も国内監督が担った。にもかかわらず、チームは伝統の「運動量」や「精神力」だけではなく、「巧さ」と「たくましさ」を備えていた。
何が韓国代表を変えたのか。それは個の充実に尽きるだろう。周知の通り、今回のチームは国外リーグでプレーする〞海外派〟の数が史上最多だった。その数、10人。マンチェスター・ユナイテッドの朴智星を筆頭に、朴主永(ASモナコ)、李青龍(ボルトン)、奇誠庸(セルティック)など欧州でプレーする選手が多かった。
サッカーの本場とされる欧州で日常的に揉まれながら鍛え、自信を育んできた彼らの技術と経験とメンタリティがチームに還元され、韓国代表が躍進する原動力になった。
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「88五輪世代」たちの急成長は4年後への大きな布石に=写真は李青龍 |
躍進の原点は02年大会
育つ力 歴史は開かれる
国際感覚も世界に通用
とりわけキャプテン朴智星の存在感は大きかった。08年10月にキャプテンに就任したときから「真剣勝負だからこそ楽しもう!」というポジティブな発想と空気をチームに持ち込んだ彼は、大会中も努めて自然体に振る舞いながらチームを牽引。ピッチでは誰よりも走り、体を張り、ここ一番では決定的な仕事もした。自身のW杯3大会連続得点となったギリシャ戦でのゴールは、まさにその真骨頂だった。
また、その朴智星に続く形で欧州進出を遂げた朴主永、李青龍、奇誠庸の活躍も光った。いずれもW杯初出場ながら、集中力と勝負強さを発揮した姿は、彼らと同世代である北京五輪・競泳男子自由形400㍍金メダリストの朴泰桓やバンクーバー五輪・女子フィギュア金メダルのキム・ヨナとも重なった。
韓国経済が飛躍的に発展したソウル五輪前後に生まれた彼らは、大舞台でも委縮することのない強心臓ぶりと確かな技術、さらには世界に通用する国際感覚を備えていることから、韓国では〞G(グローバル)世代〟と呼ぶ。この世代の特長はポジティブで自信にあふれていることとされるが、その長所がそのまま韓国代表の強みにもなったと言えるだろう。
ここで特筆したいことは、韓国サッカー界のG世代は突然変異で生まれたわけではないことだ。今日の若い力の台頭の原点は、2002年にある。韓国がベスト4進出を成し遂げた当時、朴主永は高校生、李青龍や奇誠庸は中学生だった。国中が〞赤い熱狂〟で沸く中で、彼らの中に「自分たちもできる」という自信が芽生えた。
そんな自信を育て刺激するかのように、02年W杯開催を前後して天然芝のグラウンドが急増し、Kリーグの下部組織が活発化するなど韓国のサッカー環境も整備され、KFA(韓国サッカー協会)もユース育成に本格着手した。
それまで場当たり的なユース育成に終始していたKFAだが、02年2月から12歳〜16歳までの各年齢別代表チームを編成し、定期的かつ継続的に運営・強化するようになった。李青龍は15歳から、奇誠庸は12歳から年代別代表の常連で、若い頃から外国人監督の指導を受け、U‐20W杯や北京五輪などの国際大会で成功体験を積んできたのだ。
しかも、彼らはその成長過程で朴智星ら先輩たちが欧州で活躍する姿をリアルタイムで目撃してきた。朴智星の成功を見守る彼らも世界を身近に感じ、前述した通り、欧州トップリーグに飛び込んで自信と手ごたえを掴んで今大会に挑んでいたのである。
それだけに彼らの快進撃が決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦で終焉してしまったことが惜しくもある。その敗因を見過ごしてはなららないだろう。
例えば失点の多さだ。4試合で8失点。多彩で勇敢だった攻撃に比べると、守備は脆く明らかに集中力を欠いた凡ミスも多かった。その不安定さはW杯のような真剣勝負を戦うには致命的だ。セットプレーで2得点した李正秀も、「2得点よりも8点を失ったことが残念でならない」と告白している。世界の強豪と対等に渡り合うためにも、守備の強化と人材育成が当面の課題となる。
また、GK李雲在、DF李栄杓、MF金南一、FW安貞恒といった02年4強戦士たちは年齢的にもおそらく今大会が最後のW杯となる。今年で29歳になる朴智星も大会直後には「最後のW杯」を強調し、次への意欲を示すことはなかった。南アフリカの地での成功は02年を起点とする韓国サッカーの結実でもあったが、ひとつの時代が終わったのも事実。
だが、その未来を悲観視することはないだろう。何しろ朴主永は25歳、李青龍は22歳、奇誠庸は21歳と若い。ベンチには李昇烈、金甫と、まだ20歳の若手もいた。これからは彼らが韓国サッカーの新しい歴史を切り開いていくことだろう。
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日本代表も決勝トーナメント進出を決めた |
お互いにアシストを
成熟関係へ期待ふくらむ
4年後のブラジル大会が今から楽しみでもあるが、個人的にはもうひとつ楽しみなことがある。それは韓日サッカー新時代の到来だ。
今回の南アフリカW杯に、アジア枠として参加したオーストラリアと北韓はグループリーグで敗退したが、東アジアのサッカーをリードしてきた韓日が揃って16強に進出した事実は意義深く、世界に与えたインパクトも大きい。
米国のウォールストリートジャーナルは「02年大会で韓国の4強、日本の16強進出をホームの利点が働いたせいだと決めつけた世界は彼らに謝罪しなければならない」とし、アジアサッカー連盟は「韓国や日本が世界最高のチームたちと肩を並べた。アジアのチームが世界に強いインパクトを残した」と誇った。
世界が韓国と日本の実力と可能性を認めたのだ。しかも、その過程で両国間のエール交換もあった。日本では韓国の勇敢で積極的な戦いぶりを評価する声が高まり、韓国では朴智星や奇誠庸が「日本もぜひ16強に進出してほしい!」と激励した。韓国がウルグアイに敗れた直後には、KFAの趙重衍会長が「韓国が果たせなかった8強進出を日本が成し遂げてくれればと思う。韓国と日本がともに発展してこそアジアサッカーの威信も高まる」と健闘を祈った。
この一連のやりとりに、韓日サッカー界が共闘宣言できる関係になったことを嬉しく感じるとともに、宿命のライバル関係だけではない成熟したもうひとつの関係が築かれていることを感じずにはいられなかった。
欧州や南米といった世界の強豪たちとは距離があって日常的な交流は難しいが、切磋琢磨しながらともに高め合える存在がすぐ隣にいるのだ。良きライバルであり、互いにアシストし合えるパートナーに恵まれた韓日の、ブラジル大会を目指す戦いとその先にあるであろうさらなる快挙を期待しながら、これからも両国サッカーに熱い視線を送っていきたい。
スポーツライター
慎武宏
(2010.7.14 民団新聞)