掲載日 : [2010-07-28] 照会数 : 7022
サラムサラン<28> 金龍済、老作家の郷愁
その人に会ったのは、2時間ほどでしかない。だが、布の切れ端のような記憶が、最近とみに貴重に感じられる。作家の金龍済。1987年、氏は80歳近かったが、長身の体はかくしゃくとして、頭脳は明晰だった。
韓国で老作家に会うことになったのは、大江満雄という老詩人から託された詩集と手紙を渡すためだった。大江氏はキリスト教的なヒューマニズムを謳いあげた詩人で、戦前にはプロレタリア文学運動にも参加していた。その運動で一緒だった朝鮮詩人が今もって忘れられず、韓国を頻繁に訪れていた私に橋渡しを頼んだのである。
金龍済氏は1909年に朝鮮で生まれ、1927年に東京に出た。新聞配達や牛乳配達をしながら苦学し、やがて詩作によって左翼文壇に登場、プロレタリア作家同盟の書記として活躍する。
そうした経歴から、自己主張の強い人物を想像していたが、予想に反し、温和でもの静かな人だった。プロレタリア文学運動での活躍について尋ねると、「若いから、かぶれちゃってね」‐、素っ気ないくらいに淡々とした答えが返ってきた。火を噴くような戦闘的な詩句を綴った人の苛烈さは、眼前の老紳士からは感じられなかった。
金氏は4度にわたって投獄され、最も長くは4年の獄舎生活を強いられた。1937年には、朝鮮に強制送還された。が、祖国に戻って以降の行動は悲惨だった。戦時下の皇民化政策に寄り添い、時局便乗的な文章を発表、「文名」をとどろかせた。解放後、一連の行為は民族への裏切りであるとして、「親日」派の烙印を負わされることになる。
「あの時は、仕方がなかったんだ」‐。氏は短くそう語った。苦渋が滲んだ。氏が背負うものの重さに、私は口をつぐまざるを得なかった。
大江氏へのみやげをことづかった。その中に「放浪詩人金サッカ」という氏の小説があった。「放浪」には、時代に翻弄された自身の遍歴を踏まえた魂の彷徨が影を落としているように思えた。
私の橋渡しがきっかっけとなり、金氏と大江氏との間に直接の交流が復活した。金氏が来日した際、大江氏と再会を果たしたとも聞いた。大江氏は91年に、金氏は94年に他界している。
激動の時代を生きてきた長い生涯の終わりに、若き日の理想を共にした日韓ふたりの老文学者が、再び人生を重ねたことに、私は感慨を覚えざるを得ない。金氏と大江氏と、時代を彩ったいくつもの衣装を脱ぎ捨て、韓国人日本人ということさえ超越し、裸の人間として交わったのではないだろうか。
多胡 吉郎
(2010.7.28 民団新聞)