常に弱者励ます2世の葛藤秘め明るく爽やかに 「しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています」。こう書き遺してつかこうへい氏は旅立った。
希代の表現者として日本演劇界に一時代を築き、韓国にも大きな影響を与えた風雲児であった。ただ、彼の奥底にいわゆる団塊の世代に属す在日2世の、若かりし頃の典型的な心性も見え、その心性ゆえに風雲児になったのだと改めて痛感させられた。
団塊世代の2世の多くは支配・被支配の関係から派生した自己を、「韓国(人)でもなく、日本(人)でもない」と否定的に捉え、韓日関係の深まりなどを背景に「韓国でもあり、日本でもある」と肯定的な存在にもなり得ることを発見しながらも、いつしか「在日以外の何者でもない」と収斂させてきたのではないか。その場合の自己はおそらく、「日本と韓国の間」にはない。
つか氏の言葉にはむしろ、彼と同年代の2世たちが失って久しい、今では古風とも言える純粋さがあるような気がする。団塊の2世特有の葛藤を自身もいやというほど経験しながら、それを突き抜けたと言うよりはむしろ、慈しむようにこだわってきたのであろう。
つか氏とじっくり会ったのは、在日韓国人向けの月刊誌『アプロ21』の創刊号(97年1月)を飾るインタビューのときだった。以前にも、学生時代から慶大の1年先輩でもあった彼の、青山通りにあった「VAN99ホール」での「つか公演」を何度も見ていた。熱心な押しかけファンであったと自認している。
生きがいを頑張る人に 「常に社会の底辺のところで頑張って生きている人に生きがいを持ってもらいたい、光を当てて励ましたいという思いがある。そして、劇を見終わった観客の皆さんが楽しく爽やかな気分で席を立ってもらいたい。そんなことを心がけている」
自身の創作スタンスについてインタビューで語った言葉そのままに、「つか物」の主人公のほとんどは「不条理」のなかで生きる「弱者」でありながら、観劇後の印象が明るい。私は、それこそが在日へのエールそのものではなかったか、と今さらながら感じた。
つか氏は生い立ちに触れながら、韓国が「李承晩ライン」を設定し日本漁船をどんどん拿捕していた頃は特に、気の荒い人が多かった筑豊炭鉱地域でかなり激しい差別があり、自分でも情けないと思うほど卑屈な子どもだったと吐露している。
語り口は作品同様、暗い話を明るく、辛い話を楽しく、ギャグを交えるサービス精神に溢れていた。だが、韓国に関する話題では明らかにトーンが違った。
つか氏は当時すでに、「熱海殺人事件」のソウル公演ばかりか、ソウルで独り暮らしをしていたオモニへの安否確認のために、何度も韓国を訪れていた。その過程で、在日に対する侮蔑を幾度となく経験している。(韓国在住の親戚との付き合いを含めて、興味深いエピソードも多かったが、「韓国人の恥になるから」というつか氏の意見で活字にはしなかった)。
彼がいくつかの著作で、日本社会の在日に対する差別に言及する一方で、韓国人の間にも出自による差別があることを語り、差別が人間の業であると描いたのも、作品に普遍性を持たせようとする意味以上に、韓国との関わりが大きく作用していたはずだ。
私につか氏の心の中を覗く資格はないし、また覗けるわけもない。だが、彼も「在日以外の何者でもない」と何度となく自己を収斂させていたはずだと確信する。ただ、収斂が収斂にとどまらず、演劇への起爆剤として凝縮されていたに違いない。彼の在日に対する愛着はそれほど強烈なのである。
義理人情にこだわって つか氏はインタビューで「義理人情はストーリーづくりに欠かせない」と言い、「義理人情で言えば、本家本元の日本人よりも最近は『在日』のほうがあるのではないか。むしろ『在日』が担っているのではないかと思えるのだが」と投げかけてきた。 Look at the
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57歳の若さで亡くなったアボジをつか氏は、「韓国人にありがちな性格をほとんどみな持っていた。激しくきつい反面、とても陽気で屈託がない。だけどルーズでいい加減。ただ、男っ気のある人で、愛嬌もあった」と評し、自分の義理人情に対するこだわりは親譲りだと笑った。 Интим салоны Саратова приглашают всех мужчин и женщин для откровенного общения. Вас рады встретить и насладить проститутки Саратова.
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全共闘運動がピークだった大学の1・2年のとき、麻雀荘に入り浸っていた彼は、映画「蒲田行進曲」で風間杜夫さんが演じた《銀ちゃん》のモデル、李銀四氏と知り合う。映画の《銀ちゃん》は、自分が孕ませた女優を大部屋俳優に押しつける大物俳優だ。実際の銀ちゃんはヤクザでプロのばくち打ちだった。だが、彼の義理人情に人一倍厚いところが、アボジの姿とも重なって強い印象を残したのだ。
「在日という視点だけで見れば、母国・韓国の相対的な国力の上昇でその地位については希望はあると信じる。ただ、中途半端な存在は変わらないだろう。むしろ、在日という立場だけでなく日本そのものがとても危うくなって来た。(中略)同じ日本に住む者として、神戸の震災の時のように、日本人も在日も関係なく事に当たらなければならない時代になったように思う。在日が元気になれば、日本も元気になりますよ」
つか氏はインタビューの締めくくりでこう強調した。《銀ちゃん》という「在日」そのもののキャラクターを初期作品の主人公に据え、大ヒットさせたという実績に照らすまでもなく、慎の実がある言葉だと今でも感懐が深い。
芝居のエンディングほど難しいものはない、といつも語っていたつか氏に、「いつもと同じような終幕でしたね」と伝えよう。
(フリー編集者 吉成繁幸)
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つかこうへい(劇作家)本名=金峰雄(キム・ボンウン)。本籍=韓国慶尚北道青松郡。1948年福岡県生まれ。慶大文学部(中退)に在学中から演劇活動で脚光。劇団「暫(しばらく)」で「初級革命講座飛龍伝」(73年)など上演。25歳の74年、文学座初演の「熱海殺人事件」で岸田戯曲賞を受賞(当時最年少)、劇団「つかこうへい事務所」を設立。「ストリッパー物語」(75年)、「蒲田行進曲」(80年)などを演出、「つか以前」と「つか以後」と呼ばせるほどの一大「つかブーム」を巻き起こす。82年、小説『蒲田行進曲』で直木賞、同映画で日本アカデミー賞脚本賞。87年には障害を乗り越え、韓国人役者による「熱海殺人事件」のソウル公演を成功させ、90年初版の『娘に語る祖国』で韓国人であることを公表。一時小説に専念したが演劇活動を再開、最近は「飛流伝」「幕末純情伝」などのシリーズに取り組んでいた。多くの実力派俳優を育てたことでも知られる。7月10日に死去。
(2010.7.28 民団新聞)