掲載日 : [2010-10-06] 照会数 : 6597
<高麗博物館>『儀軌』だけではない失われた朝鮮文化遺産 返還求め企画展
[ 展示品を説明する李素玲さん(右) ]
寄贈、公開の道も探る
植民地統治下の韓半島から不法・不当に日本に持ちさられた文化財の返還問題について考える企画展「失われた朝鮮文化遺産」が、東京・新宿の高麗博物館で開催されている。韓半島から海外に流出した文化財は日本だけでも6万1409点。日本政府が引き渡しを表明した朝鮮王朝時代の儀典書「朝鮮王室儀軌」などはその一部でしかない。
企画展では「植民地期の文化財に限れば、その多くは不法に略奪・流出したもの」であることを明らかにした。
象徴的な事例として取り上げたのが、韓国・中央博物館に復元・展示されている高麗時代の敬天寺十層石塔。この石塔は統監府設置直後の1907年、当時の宮内相・田中光顕の命を受けた武装集団によって解体され、日本に不法搬出されたものだ。
そのきっかけとなったのは、関野貞(東京帝国大学工科大学助教授、当時)が官命を受けて朝鮮王朝の王都だった都市を中心に調べた「韓国建築調査報告」であり、この報告書が、その後の文化財破壊・略奪の「ガイドブック」となったとされる。
朝鮮王室の遺産が無残に破壊・解体され、日本に持ち出されたことも示している。日本で最初の私設美術館を開いた大倉喜八郎は、1917年、景福宮東宮にあった資善堂(世子が王となるための学問・修養の場)を自らの私邸(大倉集古館)内に移築し「朝鮮館」と命名した。この建物は関東大震災で焼失したが、大倉集古館野外展示場には、利川市民が返還を求めている五重の石塔が残されている。
ある日本の高校社会科教員は、「朝鮮植民地支配を政策的な面や軍事的な弾圧の実態ばかりか、文化の側面から教えられる」と、学生を伴って観覧に訪れた。「韓国に旅行に行くときも何を見るべきなのか、よくわかった」と感想を語った。
展示を見ていくと、最後に「あるべき場所に戻す」よう訴えた「チェジャリへの帰還」というコーナーが目についた。これこそ、企画展を準備した制作委員会の最大の主張だということがよくわかる。
韓日政府が締結した65年の文化財・文化協力協定で「法的に決着した」とする以上、善意の「寄贈」に頼らざるを得ない。05年、日本に移送されてから100年目に靖国神社から韓国に返還された北関大捷碑は示唆的だ。
在日同胞1世で、制作委の責任者を務めた李素玲さん(73、高麗博物館理事)は、「文化財は略奪されものだと証明できないものもあり、すべてを無条件に返せとはいわない。国家間での返還だけでなく、個人・機関からの寄贈、または、一般への公開を通じてその実態、全貌が検証されなければならない」と話している。
11月14日まで(月・火曜日休館、正午〜午後5時)。問い合わせは高麗博物館(℡03・5272・3510)。
(2010.10.6 民団新聞)