中学時代から短歌に関わり、分身のように寄り添い乍ら長く言葉の世界を生業としています。
しかし、未だに日本語の曖昧さに困惑しては悩むんです。何故かって? それは日本語には境界線が不明瞭で把握が結構難しいんです。
例えばこんな表現。好きじゃないかも知れない。嫌いと言うのではない。行きたいわけじゃない。会っても悪くはないけれど…… これって、好きなの? 嫌いなの? 行きたいの? 行きたくないの? 会いたいの? 会いたくないの? さあどっち?
ある日、昼下がりの番組で韓国のタレントがインタビューに答えていました。彼女は日本語がとてもお上手で、発音も美しいのです。
日本語で難しいのは、何が言いたいのか良くわからないことです。そう言って上記のような表現を例に挙げました。
それから別の番組で、今度はK‐POPの若い男性アーチストが同じことを言います。韓国では好き嫌いや、行く行かないのどちらかしかないデス。グレーゾーンがありマセン。日本語は意味がとても掴みにくいデス。
あらっ、二人とも私と同じこと思ってンジャン! テレビの前でウンウンフームと頷いたり、驚いたりして暫しのもの思いです。
未知の本国のスター達と感じ方が一致したのって、これは偶然の一致なの? それともDNAKoreaのなせる不思議?
韓国ドラマを観ると、喧嘩の場面では激しく愛を告げる時は詩のようだもの。確かにハッキリしているわ。 短歌教室を営んでいますが、受講生は全員日本人です。何かを尋ねるとまず殆どの人が、はっきりものを言いません。
Yesとも、Noとも受け取れる微妙さね。皆さん、私のいない処では李先生はきつい言い方をするって噂しているそうよ。私、ごく普通なんだけど、日本人から見るとそうかも。
実は歌って、言い過ぎても言い足りなくても駄目なんです。言いたいことは6〜7分に留めて、空白の部分で読者に想像させる余白の表現法なんです。これって判断がつかない日本語そのものですね。
日本の風土や人と一体化して醸し出された言語ですから。言わずもがな、つまり暗黙の内こそが本心なのね。 ああ疲れるワ、ホンマ日本語って。デモしかし、私の思考回路って日本語なんだけどね。長い歌詠み生活でいつしか私も曖昧人間になっているみたいで。
この間知人のHさんに、キミ、この頃の歌何が言いたいのかよくわからへんよ。言われチャイました。
李正子(歌人)
(2011.9.7 民団新聞)