関東大震災時、ラジオ放送すらない情報空白のなか、「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」などといった事実無根の流言飛語に踊らされた人々に虐殺された同胞を悼む集いが神奈川、千葉、埼玉などでも営まれた。
■□
鎮魂の鐘9回
横浜・宝生寺
神奈川県内は関東でも犠牲者の数が最も多かった地域。『独立新聞』(1923年12月5日付)の報道によれば、約4009人とされる。犠牲者のほとんどが横浜だった。
民団神奈川本部(李富鉄団長)は1日、「韓国人慰霊碑」の建つ横浜市南区の宝生寺で第88回関東大震災犠牲同胞慰霊祭を執り行った。住職の読経が流れるなか、震災発生の11時58分から約15秒おきに9回、鎮魂の鐘が打ち鳴らされた。この後、追悼碑の前で民団関係者50人が焼香した。
宝生寺での法要は震災の翌年、社会事業家の李誠七氏が寺の住職に頼んで「横浜朝鮮人追悼会」を開いたのが始まり。寺には「大正一二年九月一日 虐殺韓国人諸霊位」と書かれた位牌がある。
■□
霊前に大礼捧ぐ
民団千葉・船橋支部
千葉県船橋の海軍東京無線電信所船橋送信所は、大震災で通信網が途絶えるなか、流言飛語を日本全国に伝えた。その船橋送信所では周辺住民に武器を渡して警備をさせるなどした。そうしてできた自警団は大震災の直後、北総鉄道(現・東武野田線)の工事で働いていた労働者とその家族、東京方面から避難してきた同胞などに襲いかかったという。
民団船橋支部(李鍾一支団長)が推測している犠牲者数は少なくとも70人。船橋馬込霊園には在日本朝鮮人連盟が47年に建立した「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」が建つ。
民団は1日、同支部でチェサを行い、「関東大震災被災同胞之霊位」を慰めた。李支団長が大礼の後、追念辞を読んだ。
■□
自治体の主催で
埼玉県内3カ所
東京からの避難民は埼玉県に続々とやってきた。県南地域の警察が同胞を保護検束し中山道を通って群馬県に移送する際、県北の熊谷、本庄、上里の地で警戒していた自警団と群衆に襲われた。これは流言を信じた県が「不逞鮮人暴動に関する件」という移牒文を県内の町村に伝えたため。1日、熊谷市、本庄市、上里町が行った慰霊祭・追悼式では民団埼玉本部(景民杓団長)が出席し、追悼文を読んだ。
(2011.9.7 民団新聞)