来年の2大国政選挙(国会議員選挙=4月、大統領選挙=12月)から在日同胞を含む在外国民が投票権を行使する。だが、「せっかくの権利なので、有効に使いたい」と考えていても、韓国にはどのような政党・政治勢力があり、いかなる政策を掲げているのか、何が主な争点になっているのか、ほとんど分からないという同胞が多い。そこで、来年に向けた予習のつもりで、10月26日に投・開票された地方自治体の首長再補欠選挙のうち、「2大国政選挙の前哨戦」とされたソウル市長選挙を焦点に、韓国の政治状況に接近し、留意点を確認しておこう。
■□
選挙の経緯と民意
20〜40代の不安感表出
給食の無償化是非が発端に
ことの発端は、ソウル市内の小中高生に対する無償給食の是非にあった。
昨年6月の統一地方選で野党系が市議や教育長に多数当選し、市議会が給食を無償化する条例を公布。これに対し呉世勲市長は、「富裕家庭まで無料にするのは福祉の理念に反する」「財政を圧迫する福祉ポピュリズムだ」として反発。呉市長は8月24日、無償給食に所得制限を設けるか否かを問う住民投票を実施した。
しかし、野党民主党や市民団体が投票ボイコットを呼びかけ、投票率は住民投票の成立に必要な3分の1に到達せず、無効となった。成立しない場合は辞職すると言明していた呉市長が26日、正式辞任を表明したのにともない、全国一斉の再補欠選挙日に実施された。
選挙戦では、統合野党圏を足場に「福祉中心の市政」「任期中に福祉予算を30%に拡大する」などと訴えた無所属の朴元淳候補が終始リードを守った。「ばらまき」を批判し「健全財政と福祉の調和」を唱えた政権与党ハンナラ党の羅卿 候補は、追い上げたものの届かなかった
韓国は今、経済成長率を物価上昇率が上回り、不況感が強いうえに、厳しい競争と高い授業料に苦しんで大学を卒業しても就職がままならず、貧富の格差が拡大している現状に、若い世代が不満を募らせてきた。
昨年の実質国内総生産の成長率は、8年ぶりの高さとなる6・2%だったが、所得分配が適切になされたかを示す労働所得分配率は過去6年で最低の59・2%だった。国全体の所得が伸びても勤労者の取り分は減ったことを意味する。
中産階級の割合は、1990年代の100世帯当たり75世帯から、最近では66〜67世帯に減少。貧困層は昨年初めて300万世帯を超え、OECD(経済協力開発機構)加盟国の平均値の2倍になった。圧縮成長の歪みが顕著だ。
出口調査によると、政争に明け暮れ有効な手立てを打ち出せないハンナラ、民主の2大政党に対する離反が目立ち、世代間の選択の違いが際立った。50代以上の多くが羅候補を選んだのに対し、就業難や教育・住宅問題を抱え、現在に不満と将来に不安を抱く20代から40代は、市民団体が支持主体の朴候補に流れた。
■□
来年国政選挙の前哨戦!?
大統領選へ なお変転…見極めたい中間層の方向
全人口の2割大きい影響力
今回の再補欠選挙はソウルのほか、全国11地方自治体の首長、11地区の広域議員、19地区の基礎議員を選ぶもので、規模は決して小さくない。それでも、首都ソウルはやはり特別な存在だった。
有権者数は約837万人で、全国の約3900万有権者の5分の1を上回る。ちなみに、東京都の有権者数はほぼ一貫して、全国の10分の1にとどまっている。首都への人口集中は日本の比ではなく、国政全般に与える影響が大きいこともまた、日本の比ではない。
しかも、来年4月の国会議員選挙まで、韓国のメディアが好んで使う「民心」・「票心」(日本で言う「民意」のこと)をあぶり出す大きな選挙はない。中間層の多いソウルの市長選が「国政選挙に決定的な影響をもたらす」もの、あるいは「次期大統領選挙の前哨戦」と位置づけられるのは当然で、選挙情報は連日、全国ニュースとして大々的に報じられ、候補者のテレビ討論も全国ネットで流された。
それを決定づけたのは、政権与党ハンナラ党の羅卿瑗候補(党公認)と統合野党勢力の朴元淳候補(無所属)の事実上の一騎打ちとなり、羅候補には朴槿恵ハンナラ党元代表、朴候補には安哲秀院長(ソウル大学校融合科学技術大学院)がそれぞれ応援団長格となって支援したことだ。
両氏はともに、次期大統領候補として有力視されている。朴元代表はこの間、他の候補を引き離す35%前後の高い支持率で一貫してきた。安院長は「韓国のビル・ゲイツ」と呼ばれ、若者たちから絶大な人気を集める元IT起業家であり、今回の野党勢力一本化の仕掛人となってから急速に台頭した。最近の世論調査では、朴元代表を上回る支持率を見せている。
羅候補の敗北は李明博大統領、ハンナラ党に打撃となっただけでなく、朴元代表にも痛手になったのは間違いない。一方で、安院長の存在感はもう一段グレードアップした。だが、市長選から次期大統領選挙までは1年と2カ月ある。これは存外に長く、ダイナミックな韓国政治にあっては、さらなる変化を起こすには十分な時間だ。
次期大統領候補には両氏以外にも、複数の名があがっている。これまでの例から、想定外の有力候補や伏兵が登場する可能性も否定できない。有力候補者には、丸裸にされるどころか生体解剖に等しい徹底的した検証作業も待ち構えている。
イバラの道のイメージ維持
本戦で相手陣営からの検証攻勢はもちろんのこと、自陣営の候補が本戦で袋だたきにされた挙句、敗北することを避けるために、公認候補選出過程で行う事前検証もなかなか凄まじいのだ。
朴元代表は前回の大統領選挙の際、ハンナラ党の候補一本化過程でその洗礼を受けており、いわば検定済みだ。だが、安定感はあってもプラス・アルファがなく、支持率は35%の壁を崩せずにきた。
安院長は支持率で朴元代表を上回った初めての人物であるとはいえ、政治的スタンスを明瞭にし、微に入り細に入り人格検証を受ける機会をまだもっていない。今回のような後ろ盾ではなく、自ら立候補することになれば、あれこれと疑義を提起され、徹底追及されることになり、これまでのイメージを維持するのはたやすくない。
■□
政界流動化が加速
最大変数は野党圏の統合成否…新党結成へ圧力も
ソウル市長選は当初、政権与党ハンナラ党と野党民主党の公認候補による一騎打ちが予想されていた。この構図がひっくり返った。
ハンナラ党は、内部の競い合いがほとんどないまま9月26日、党最高委員の羅議員を公認候補に決定。一方の野党勢力は、社会派弁護士として知られる無所属の朴候補に一本化するまで、譲渡と競合を織り交ぜてやや複雑な経路をたどった。
朴元淳氏は8月31日、立候補を検討している旨を表明。これを受けて9月6日、同じく出馬を模索していた安哲秀院長が不出馬と朴氏支持を宣言した。この時点でのメディアリサーチによる世論調査で、支持率は羅候補の32・5%に対し、朴候補は51・1%と大差がついていた。
これを横目に民主党は、有力候補と目された韓明淑元総理が9月13日に不出馬を表明すると、25日の党大会で政策委議長の朴映宣議員を候補に選出した。朴元淳氏の人気に気圧されて首都選挙に独自候補を立てられないようでは、次期執権を目指す第一野党としての存在感がなくなる、との危機意識があった。
与野党ともに軌道修正必至
野党圏の統一候補擁立選挙は、市民団体を基盤とする無所属の朴元淳氏、民主党の朴映宣氏、民主労働党の崔圭曄氏が世論調査(比重30%)、テレビ討論の陪審員評価(同30%)、一般市民3万人による投票(同40%)の合計支持率で争った。民主党の朴映宣氏は一般投票で首位に立ったものの及ばなかった。
公認候補を立てて敗北したハンナラ党、《勝利》したとはいえ、党の独自候補が予備選挙で敗れ、朴候補を取り込めなかった民主党はともに、「既成政党に対する不信」という民意に衝撃を受けた。ハンナラは民意を効果的に取り込む政策遂行に、野党圏の結集軸になれなかった民主は失地挽回に腐心しなければならない。
テレビ番組での人気を追い風に大阪府知事に当選した弁護士の橋下徹氏は、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げ、民主・自民など国政政党を尻目に独自路線で突っ走っている。自身の議席を維持・獲得するために、人気者にあやかろうとする動きは強い。安哲秀院長‐朴元淳市長のラインも地域政党を、さらには国政政党を結成するのだろうか。
朴市長側は候補を一本化する野党圏の予備選に参加した民主党、民主労働党、市民団体とともに、「信頼・連帯・互恵の原則に基づき、ソウル市を市民参与型民主政府としてともに運営する」との共同運営合意文に署名した。直ちに地域新党の結成とはなりにくい。
だが、ハンナラ・民主という国政2大政党に対する不信の広がりを背景に、新党を模索する可能性は濃厚だ。来年の国会議員選挙・大統領選挙でハンナラ党に勝つために、野党圏の統合を至上課題とする認識は共有されている。12月の民主党全党大会に向かって、統合新党結成への圧力は強まるだろう。
主導権を握る市民団体勢力
その場合、新党が安院長‐朴市長のラインを機軸に、市民団体勢力が主導することになる。民主党は第一野党の看板を失い、小なりとは言え独自性を発揮したい民労党は、影をいっそう薄くさせる。統合されれば公認争いは熾烈になり、排除されかねない現職議員や立候補予定者は当然、これに激しく抵抗する。
朴槿恵元代表に勝ったかたちの安院長は、大統領候補としての勢いを結集して第3政党を結党するのか、それとも今回のように、全野党圏を基盤とする無所属候補として朴元淳モデルを踏襲するのか、あるいは特定候補への支持を宣言して自身は後ろ盾に徹するのか。
この三つのいずれを選択するかによって、政界の構図は変っていく。いずれにせよ、韓国政界は流動化の局面に入り、当面、再編含みで推移する。
■□
新市長には懸念も
従北策動と民意 分別を
ソウル市長選が与党ハンナラ対オール野党圏の構図で戦われたことは、北韓独裁やその追従勢力がかねてから求めてきた《反保守大連合》が実現したことを意味するのだろうか。
今年4月の再補欠選挙でも、ハンナラ党は惨敗し、民主党と民主労働党が勝利した。なかでも注目されたのは、民主労働党候補が民主党との選挙協力によって全羅道で初の議席を獲得したことだった。そして、今回の野党圏統合候補の当選だ。この流れは拡大・定着するのだろうか。
変数が少なからずあり、すんなりとはいきそうもない。民労党は事実上、北韓独裁の手足となってきた従北政党として知られる。来年の国会議員選挙で院内交渉団体に昇格し、大統領選挙を通して政権与党の一角を構成し、キャスティングボートを握ることを狙ってきた。
しかし同党には、従北主義路線に批判的な党員が離脱して進歩新党を結成(08年3月)した経緯があり、この間進められてきた再統合の動きも最近ついに破綻した。ソウル市長候補一本化の予備選で、総合支持指数は無所属・朴元淳氏の52・15%、民主党・朴映宣氏の45・57%に対し、民労党・崔圭曄氏は2・28%に過ぎなかった。
民労党首脳は北韓独裁の3代世襲についても、「北の内部問題を批判すれば平和が破れる」などと発言している。3代世襲は左派内部で葛藤を広げており、一般市民から見ても従北路線があからさまな民労党の浮上する可能性は少ない。
ただ、朴元淳氏とその支持母体に従北・親北傾向があることは念頭におきたい。保守層からは、ソウル市が従北勢力の陣地のようになり、3年前の米国産牛肉に対する狂牛病騒動のように、韓米貿易自由協定反対、国家情報院のソウル退去などを叫ぶ争乱を起こすのではないか、と憂慮する声も聞こえる。
朴元淳氏が脚光を浴びた「落選運動」(2000年の国会議員選挙で、特定候補に投票しないよう呼びかけた)の主体となった参与連帯は、哨戒艦「天安」の撃沈事件(昨年3月)について、「韓国政府の調査結果は信じられない」とする書簡を国連に送った。また、彼の支持母体の一つである弁護士グループは、北韓独裁の対韓工作の前に韓国の武装解除を意味する国家保安法の撤廃を叫んできた。
しかし、在野の立場と首都の首長では自ずと振る舞いが違ってくる。今回の選挙で有権者は、朴候補の対北姿勢に何かを求めたのではなく、あくまで生活の安定と希望ある将来の開拓を託したのだ。その民意を裏切って、ソウル市を「従北陣地」にするのはたやすくない。
ソウル市民や国民の多くには、金大中・盧武鉉時代の10年に及んだ包容政策が南北関係の改善や北韓住民の民生向上につながるどころか、核など大量殺戮兵器の開発に弾みをつけたことへの学習効果もある。
確信的な従北勢力のプロパガンダと、安定・希望を求めて変革を願う民意の表出と明確に分別したい。来年の2大選挙を控え、不満を吸収、収斂する主体が従北勢力になりがちな現状こそ憂えられるべきだ。
(2011.11.2 民団新聞)