【兵庫】在日韓国人の実業家が慶尚南道・昌原の郷里に設立した奨学財団愚波奨学会の基金総額がこのほど、100億ウォン(約6億8千万円)に達したことがわかった。これは、奨学財団設立者の崔寧錫さん(82、宝塚市)が、40年間コツコツ寄付を続けて達成したものだ。個人の現金だけでこれだけの規模の奨学基金を築いたのは珍しいとされる。
基金総額が100億ウォンに達したのは今年9月。37億ウォンを積み増して達成した。100億ウォンは40年前、愚波奨学会を設立した当時からの目標だったという。崔さんは「自分ができる範囲内でやってきただけ。うれしいけれど、まだまだ満足していない」と表情を引き締めた。
崔さんが郷里を訪れたのは1970年のこと。「これからは人材の育成が重要」と、後輩が少しでもいい環境で勉強に打ち込めるように、母校の中学校に50坪2階建ての図書館を建て、同じく母校の馬山龍馬高校(旧馬山商業高校)には1億ウォンを寄付した。これが高校生を対象とした奨学事業の実質的なスタートとなった。数年後、愚波奨学会を設立してからは、「無理せず、少しずつ」寄付してきたという。
当初は年間数億ウォン単位だった。だが、07年には30億ウォンと飛躍的に増えている。崔さんの奨学会にかける意気込みは、奨学生から送られてくる感謝の手紙を励みにして、年を追う毎に膨らんでいったようだ。
奨学金は高校生45人に年間260万ウォンを支給。4年ほど前からは大学生も対象に加えた。高校生と大学生の奨学生総数はこれまでに800人で、支給総額は19億ウォンにのぼる。最近、横浜の大学を卒業したばかりの韓国人留学生の訪問を受け、「高校の3年間、奨学金を受給できたことでいまの自分がある」と何度も感謝されたという。この大学生は来年から東大大学院に進む。崔さんは、「生まれ育った故郷にほんの少しでも貢献できたかな」と振り返った。
6人兄弟の長男。家業の農家を継ぎたくなかったため、高校を卒業するや51年に対馬に渡った。知り合いのいない日本で日雇い労働やプラスチックの仕事をしながら大阪、名古屋、東京へと渡り歩いた。「いま考えてみると、行く先々で出会う人に助けてもらった」という。
64年に兵庫県に移り住んでからはゲーム機関連企業を設立した。
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崔顧問から学び在日の人材育成
車得龍兵庫本部団長
「崔顧問は40年以上の長きにわたって韓国の未来を担っていく若者の奨学基金を継続した信念の人だ。崔顧問の崇高な志から学び、在日同胞社会における人材育成に力を尽くしていきたい」
(2011.12.7 民団新聞)