同胞子ども会が各地でいきいきとした活動を続けている。原動力となっているのが同世代の励ましあえる仲間の存在だ。それを民族的に生きようとする保護者が輪をつくり、支えている。子ども会を卒業して青年になってからも指導員として子ども会を支えている例が見られる。横だけでなく縦のつながりができているのも息の長い活動があったからこそだ。なかには韓国籍に限らずベトナム、中国といった多国籍の子どもたちも視野に活動を展開しているグループも出てきた。
お正月のあいさつとクンジョルを学ぶ橿原オリニ会(11年12月22日) |
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奈良・在日外国人保護者の会
〞卒業生〟が年少を指導
縦のつながりも
橿原オリニ会(林有学代表)が昨年12月に市内の公立小学校で開催した「学期末オリニ会」に江里さん(33)が妹の親子を伴って参加した。江里さんはオリニ会の〞卒業生〟。子どものころ参加して楽しい思い出をつくった学期末オリニ会に今度は妹の子どもを参加させたかったという。
学期末オリニ会は橿原オリニ会が発足して間もない98年から学期末の終業日に開催されている。学期末オリニ会を巣立った子どもたちは独自にスタッフとなって年少の子どもたちを指導している。毎年開催することで同世代の横のつながりを強固にしてきただけでなく、さらに世代を超えて縦のつながりも生み出しているのだ。
橿原オリニ会の母体となったのは「奈良・在日外国人保護者の会」(全順翼代表)。地域で孤立・分散している保護者どうし、「子どもの教育」という1点で相互に支え合う必要性から92年9月に発足した。発足直後から月1回の「モイム(集い)」で子育ての悩み、不安を語り合いながら仲間意識を深めていった。
話しあってみると、思いはみな一緒だった。誰もが「子どもたちに私たちと同じ苦しい思いはさせたくない」「子どもたちが自分は在日韓国・朝鮮人であるとはっきり言えるような環境にしていきたい」と語った。
鄭順子さんは「私にとってはホッとできる場所、なんでも話せる場所、一緒に問題を解決できる場所でした。それまでセピア色だった『民族』が、本来持っている色鮮やかな『民族』色となってよみがえってきた」と振り返る。
まず初めに取り組んだのが子どもたちをつなげるオリニキャンプだった。93年の第1回には幼小中学生だけで51人が参加。保護者や教職員、民族講師も入れた総参加者数は約100人。同胞が散在する奈良県では画期的なことだった。
保護者自身が民族性を回復していったことで、子どもたちにも変化が見られるようになった。同胞の友だちと出会い、本名で呼び合う過程で日常的にも「本名を名乗りたい」という子どもが出てきたのだ。学校では自分の本名をハングルで大きく書いた。ハングルを学ぶ子どもの姿は担任を感心させた。
一方で、不安を隠しきれない保護者も一部に見られた。「娘の気持ちは大切にしたい。けれども、周りの友だちがどのように受け止めるのか心配だ」と。
「指針」追い風に
保護者会は保護者会の活動を教師の立場からバックアップするために組織された「奈良・在日外国人保護者とともに歩む会」と連携、本名を名乗れる環境づくりに向けて行政への働きかけも並行させた。
この時期は県教委が「指導指針」を策定して間もなかったころ。「指導指針」が追い風となり、各市教委も保護者の訴えに耳を傾けた。やがて公文書への本名記載が県内全域で徹底されるようになり、多くの市教委が本名入学を呼びかける案内文を出すようになった。
奈良県では現在、子どもたちが共に集い、学び会える拠点が2つ組織されている。県南部の橿原ブロックの保護者が立ち上げたのが「橿原オリニ会」、同じ年に北部の生駒の保護者たちも「ウリマル教室」を開設、後に「生駒オリニ会」と改称した。
両会の子どもたちは民団奈良の「土曜学校」にも通う。一方、民団も役員が保護者会のキャンプを訪れて激励するなど、緊密に連携している。
「希望の会」の保護者たち(左から2番目が河本会長) |
宮城韓国会館内はいつも活気にあふれている。団員の集まるところ、鬼ごっこしながら元気に走り回る子どもたちの姿を決まって見かけるからだ。
日曜日の「オリニ文化スクール」と夏の「林間学校」、「オリニ文化スクール」修了式を兼ねた「クリスマス会」は民団宮城本部(李根団長)が力を入れている次世代育成事業の柱だ。オリニ文化スクールに通う子どもたちに感想を聞くと、異口同音に「友だちに会うのが楽しみ」との答えが返ってきた。子どもたちは確実に横のつながりを強めている。保護者からは、「習い事の野球と重なっていましたが、本人が文化スクールに行くことを選びました」という声も聞かれた。
「希望の会」発足
保護者どうしもつながりつつある。昨年6月には「オリニ保護者の会・希望( )」(河本美代子会長)を発足させた。きっかけをつくったのは、婦人会宮城本部主催の懇親会だった。李会長は「婦人会の次世代育成につなげていければ」と、自ら講師を務め、料理講習会も実施した。
この結果、「民団に来て顔だけは知っていても1年間、名前すら知らなかった」という保護者どうしが子育ての悩みを交換するようになった。メンバーは15人。在日同胞だけでなく、結婚してから日本に定住するようになった新渡日や日本籍者もいる。
河本会長は在日同胞を伴侶に持つ日本人。「自分のルーツを覚えるためにはいい場」とわが子を「オリニ文化スクール」に通わせている。韓国語も分からず慣れない環境に戸惑っていたものの、2カ月目には友だちに会いたいからと1人で通うようになったという。
韓国から日本人のもとに嫁いできたというある保護者は「ハングルに興味を持つようになった」「人前に出ても韓国人であることを隠さず、堂々としている」とわが子の成長に目を細めている。
在日同胞の一人は「メンバーにネイティブがいることで、韓国の生きた情報を吸収できる」ことを歓迎している。
「オリニ文化スクール」は子どもたちが韓国語を学び、韓国の文化に触れる場。08年からは日曜日に変更した。前身の「オリニ土曜学校」が仙台韓国教育院に運営を委託していたのに対し、「オリニ文化スクール」では民団が全面的に関わるようになった。青年会のメンバーを指導員にチャンゴの演奏を取り入れたのも民団側のアイデアだった。
姜恵美子事務局長は、「教育も大事だけど、子どもたちにとっては楽しいことがなにより」と話す。青年会に依頼して日本のお手玉に似た民俗遊戯「コンギ」を取り入れたり、ユンノリで楽しませもした。
クリスマス会には1年間学んだ成果を発表する場を設けてきた。民団職員は子どもたちの笑顔にいつも励まされているという。「楽しかった。来年もくるよと言われるとその声だけで元気が出てくる」のだ。
昨年からは小学生だけではなく、中高生を対象とした勉強会「寺子屋」も始まった。
「トッカビ」の事務所で遊ぶ子どもたち |
課題解決へ結束
トッカビ(トケビ)はいたずら好きながら、ときには困っている人を助けてくれる愛すべき妖怪、オバケだ。トッカビのように地域の人たちに愛されながら育っていく活動をしたいという願いを込めて命名したのが「トッカビ子ども会」(08年から「NPO法人トッカビ」に名称変更)の始まり。
在日同胞の子ども、保護者、青年が一体となって、教育・生活上すべての課題実現に向けて一丸となって取り組んできた。その取り組みを支え、後押ししてきたのが地域の心ある日本人だった。代表的な成果として郵便外務職の国籍条項撤廃、大阪府八尾市在日外国人教育基本指針の策定などが挙げられる。
「トッカビ」は「差別に立ち向かう子に」「日本社会の中で民族として生きる子に」との願いを託して74年10月、八尾市安中地区で発足した。きっかけは民族差別を背景とした同胞中学生の非行問題だった。似たような境遇で育ってきた同胞青年たちが「私たちがこぼした涙を二度と子どもたちに拾わせてはならない」と指導員を担い、日本人の教員が子どもたちの学習をサポートした。
オモニたちは靴下を売り、路上でキムチを売ったりしながら活動に必要な財政を確保した。発足3年後には初めて本名で小学校に入学する子どもが現れた。
「トッカビ」で育ってきた子どもたちも高校3年生になり、進路保障問題に直面すると、民族名を名乗れないという状況が出てきた。「民族名を名乗って就職できるのか、家が借りられるのか、結婚ができるのか」。
こうした問いに応えるため、公務員の一般行政職の受験資格における差別的な国籍条項撤廃の闘いに取り組んできた。それは子どもたちがありのままの姿で社会に巣立っていくために欠かせない環境作りだった。やがて「トッカビ」から巣立っていった子どもたちが郵便外務職に採用され、小学校教員も相次いで誕生していくようになった。
多民族へ広がる
90年代に入って新たな渡日者が増加してくると、「トッカビ」の活動も多民族・多文化共生社会をめざした活動へと広がりを見せるようになった。94年に八尾市内の外国籍住民としては韓国・朝鮮籍に次いで人口の多いベトナム人や中国人、ブラジル人との交流を図る「国際交流親子の集い」を相次いで開催。91年からスタートした「民族交流まつり」も「国際交流野遊祭」と名称を変えて現在に至っている。
02年には「NPO法人トッカビ子ども会」を設立。異文化をルーツとする八尾市在住すべての人たちに対する支援、交流活動に取り組むようになった。子ども会にも、集まってくるのは在日韓国人3、4世にとどまらない。ベトナムや中国の2世の子どもたちも一緒になって活動している。多国籍化したことは在日同胞の子弟にいいい刺激となった。NPOトッカビの代表を務める朴洋幸さんは、一緒に活動することで、非常におもしろい関係が生まれてきているという。
「在日コリアンは日本籍を持つ子どもが多く、自分が韓国・朝鮮人だと明確に言い切れない。でも、ベトナムや中国の子どもに刺激されてお父さんやお母さんに一生懸命自分たちのルーツについて聞いてきたり、民族名を強調して『韓国名はこんなんや』といっている姿が見られる」
オリニの指導にあたる蹴球協会中北本部の姜成龍会長(右) |
中北地域の同胞小学生を対象にした愛知オリニフットサル教室が開講して今年で4年目。在日大韓体育会中北本部(李豊宏会長)傘下の在日大韓蹴球協会中北本部(姜成龍会長)がスポーツを通じて友人の輪を広げようと設立した。
メンバーは小学校1年生から6年生まで現在、18人。毎月第1・3土曜日の午後6時から練習を重ねている。教室開設当初は会場が一定せず、参加者も少なかったが、現在の稲沢フットサルスタジアムに定着してから少しずつ参加者が増えている。保護者たちも体育会のスポーツを通じた育成に理解を示し、子どもたちの送り迎えなどに積極的に関わっている。
チームも結成
在日同胞オリニのフットサルチームをつくるのは、体育会中北本部の鄭正樹前会長当時からの念願だった。在任中、「スポーツを通して保護者も一緒に集まってくれれば」と愛知で初めてジュニアフットサル大会を開催した。昨年には練習生の中から優秀な選手を選抜した「FC HYONGJE(兄弟)」(写真、ロゴ)も生まれた。鄭前会長は結成後もサポートチームの団長として支援を惜しまない。
姜会長は、「子どもたちは練習を通じて絆を深めている。これまで引っ込み思案だった子も、明るく積極的になった。将来は韓国のオリニチームとも交流したい」と話す。
今年からは月2回の練習を週1回に増やす。参加者募集中。ホームページはhttp://fchyongje.jimdo.com/
(2012.1.1 民団新聞)