窓から射す、朝のひかりは春ですね。風花が舞う、彼方の空のうす青は春の彩ですね。凍った水溜まりの皸割れた底から、春が見え隠れします。そうそう、タンスの整理しなくちゃ。
一番目は春物、二番目は夏物、三番目にはチマ・チョゴリです。韓紅のチョゴリは出版記念会で。白地に七色の孔雀の刺繍を施したものは鶴橋で。青のグラデーションは東大門市場で。蝶柄は奈良公園へ行った時ね。
日本語がまだ、不十分な韓国からお嫁に来た二人と在日三人です。二人に合わせ、皆で日本語が分からない振りをして。すると電車内で座席を譲ってくれたり、レストランでは店員さんがスプーンを見せて訊きます。
公園内では新婚旅行でパキスタンからの五組の男女と出会い、一緒に踊りました。気がつくと周りに人集りができ、無数のカメラが。
ツアー会社の人がソウルから? と訊かれてはシドロモドロになったり。
伊勢神宮では修学旅行中の先生と生徒が駆けてきて、キムチーと仲良く記念写真です。写真を送るから住所を聞かれたけれど、嘘ついてるから答えられないよね。
近江へは、薄い橙色のシフォンのチマ・チョゴリです。ここは天智天皇が大和から遷都した大津京があった処で、百済氏族技術者等を多く配置しています。比叡山麓の門前町坂本には穴太積からなる水路が、清らかに流れています。これは、大小の自然石を未加工のまま積みあげる野面積みで水を溜めません。崩壊の恐れがなく実に強堅なんです。
大阪城、近江八幡城、坂本城など戦国時代の城壁として築かれ、神社、仏閣にも幅広く応用されています。この石工職人を穴太衆と言い、百済族の姓です。
近江朝には志賀氏、三津氏(延暦寺開祖最澄は出身者)、大友氏(大友皇子支持勢力)、村主氏、甲賀氏、韓国氏(辛国)、錦部氏(綾絹職人)等、多数が渡来し、地域発展の原動力でした。
伊賀市柘植町には、村主姓が多いですよ。日野市や比叡山東側漢人穴太遺跡の住居跡には、日本最初のオンドル遺構が出土しています。煮炊き竈の煙道から室外へ排出するL字型で、我が家と同じです。何だか遠縁の人に出会った気分ですね。それにロマンだって。 でも慣れない韓服で、階段ではチマの裾をよく踏みました。お連れのNさんもお疲れ気味で、名物の蕎麦屋さんへ急ぎます。早速、チマの裾を気にしていると、Nさんが言います。韓服ってええもんやなあ。えっホンマ? ほんならこれから裾汚れてもチマ着るワ。今度はカッコよくね。
李正子(歌人)
注 大友皇子は天智帝の後継皇子、生母は伊賀の女人。