掲載日 : [2003-08-14] 照会数 : 14448
狂牛病をのりこえ 行列ができる同胞の焼肉店(03.8.15)
[ 上・トトリ店内の様子。下・白雲台店内の様子。 ]
[ 味園店内の様子。 ]
直火で牛の肉や内臓を焼いて食べる焼肉の食文化は、在日同胞が作ったと言われている。解放直後から同胞向けに営み続けられてきたが、88年のソウル五輪を前後して日本で韓国ブームがわき起こり、家庭向け焼肉のタレが発売されるなど一般家庭で広く食べられるようになった。すっかり定着したはずだったが、一昨年の日本での牛海綿状脳症(狂牛病=BSE)騒動で客足は遠のいた。しかし騒動から2年、しっかりと客足は戻りつつあり、行列ができる焼肉店もあちらこちらに続出しつつある。在日同胞が作った食文化はまだまだ花開きそうだ。
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トトリ(北海道・札幌)
一品料理を品揃え本場に負けない味
今年創業20年を迎える盛岡冷麺と焼肉「トトリ」(李求七代表)=札幌市南区。昨年12月13日にリニューアルオープンした店内ではジャズが流れ、心地よさを演出している。夕方6時前から1、2階の席はすでに満席状態。入れ替わり立ち替わりで客が途絶えない。
軌道に乗り、行列ができるまでに約15年を要した。今では1日平均300人から多くて約500人が来店するという。人気メニューはカルビや盛岡冷麺、参鶏湯、創業以来提供しているキャベツキムチなど。料金も良心価格なのが嬉しい。
中でも盛岡冷麺とキャベツキムチの組み合わせは絶品だ。冷麺の弾力とシャキシャキしたキャベツキムチが食欲をそそる。5段階の中から辛さを選べるのも客に受けている。
「創業当時から和牛にこだわり本州に買いに行っていた」と話すのは統括・料理長の三鹿彰さん。鮮度にもこだわる。
2001年の狂牛病問題の時、売り上げは例年の半分に落ち込むというダメージを受けた。他店では価格を下げたり鶏肉を代用するなど、生き残りをかけての対策に講じた焼肉店も少なくない。同店では和牛を提供しつつ、チヂミやビビン麺などの料理に力を入れた。
「価格競争をして客を引っ張りあうのは自滅行為。いつもソウルの焼肉店より美味しいものを出せる焼肉専門店という気持ちを持ってやらないと生き残れない。それがポリシー」だと話す。創業以来、一貫した姿勢と味へのこだわりを守り通してきた。その20年の歴史が客に認められたのだろう、狂牛病騒動から1年目で回復したという。
市内には200件を超す焼肉店がある。「味に対するこだわり、追求、向上心を忘れずにいい物を提供したい」という。
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白雲台(大阪市・鶴橋)
インターネット活用で新規客…手練り冷麺が味自慢
大阪の鶴橋は、知る人ぞ知る焼肉のメッカ。JR鶴橋の改札を出て5メートルにある「白雲台」(呉相彩社長)は、焼肉と冷麺が美味しいことで名が通っている。
本店は鶴橋。キムチの味が有名な難波の東京清香園で修行した呉社長が28年前に創業した。当時から「冷麺がおいしい」と評判だった。今はJR鶴橋駅の改札を出た目の前の鶴橋駅前店と寺田町店の3店舗で営業する。
冷麺の麺は、やはり「手練り」に限るのだそうだ。「練れば練るほどうまいんです」と、そば粉などを25分ほどかけて練り込む。冷麺だけを食べる客も多い。
開店の午後5時前から「もう入れる?」と客が並ぶ。特に週末などは店を開けて短時間のうちに満席状態だ。3階は予約客が占領する。
本店は長男の龍五さん(34)が、駅前店は次男の龍一さん(33)が切り盛りする。清香園から引き継いだキムチの味は龍五さんが引き継いでいる。
大阪でも、鶴橋駅前は焼き肉店が軒を連ねる激戦区。冷麺の評価を筆頭に良質の肉、韓国宮廷料理、ランチの品揃えなど味で勝ち残ってきた。
しかし2001年、降って湧いたような狂牛病騒動のあと、客足はパッタリ止まった。売り上げは10分の1、20分の1、減ったというより無いに等しかった。商売替えも考えざるを得なかったという。
そんな時期、「こういう時やからこそ」と毎日店に足を運んでくれる同胞や日本人の常連客の姿に本当に励まされた。アンケート用紙に書かれた「頑張ってください」という文字が社長以下、従業員を支えた。
来客が減ったために空いた時間、龍五さんはインターネットのホームページ制作に割いた。最近はどこの外食産業でも、ホームページで店の特徴や雰囲気をアピールし、新規客の開拓に一役買っている状況を見たからだ。今、人気のUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)で遊んだ客が、大阪で本場の焼き肉を食べようと、ホームページを見て足を運ぶ例が増えた。
その他、とにかくおいしい料理を食べにきてほしいと、赤字覚悟で3店舗全品半額セールも実施するなどあらゆる方法を総動員して客の呼び込みに力を入れてきた。
厳しい状況は乗り切った。今は、駅前店が満席になり次第、客を本店に誘導するまでに客足は戻った。
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味園(三重県・松坂)
週末は開店直後に満席…県外からも口コミ来店
三重県のJR松阪駅から徒歩1分という好立地にある「味園(みその)」(権五畢社長)。本店と春日町店の2店舗で営業する。
本店は、1階が炭火焼、2階が無煙ロースターの席となっている。
午後5時の営業開始と同時に、次々と席が埋まっていく。週末は2階は予約でいっぱいの状況。午後6時すぎには、入れない客が玄関から駐車場にかけて列をつくるのが常だ。
駐車場にとめられた車は県外ナンバーも多い。滋賀、大阪、名古屋、和歌山、奈良などから、わざわざ足を運ぶ客も少なくない。
松阪には屠畜場があり、昔からホルモンを食べさせる店が10数件ひしめいていた。ここに店を出そうと決めた83年、「こんなに店が多い所にわざわざ…」と周囲は笑っていたという。しかし権社長には秘めた思いがあった。5年後のソウル五輪を前後して、必ず韓国料理がブームになるはず、と。
だから、ホルモンだけを食べさせるのでなく、今でこそ一般的なピビンパ、クッパなど韓国料理の品揃えに力をいれた。当時、ピビンパの食べ方も知らない人がほとんどと言う地方で、混ぜ方から指導してきた。家庭料理の延長でなく、きちんとした調理師も入れて、韓国料理を売りにした。無煙ロースターを導入したのも三重県で初めてだった。
ソウル五輪を前後して、韓国を訪問した人たちが「あの味をもう一度」と足を運ぶようになった。結局、権社長のもくろみは見事に当たり、今では「味園」の名前は広く知られるようになった。
オープン当初、調理師が変わるたびに味付けが変わって苦労した経験から、今ではタレだけは誰にも任せない。果物と野菜をふんだんに使ったタレは、フルーティーでいてコクがあり、同店の人気の秘密でもある。
大方の焼き肉店にもれず、狂牛病騒動の時は相当売り上げが落ち込んだ。専用駐車場に車が1台も止まっていない状況が続いた。これまで並んで食べていた客からは「空いててええな」という声も聞かれるほどだった。背に腹は代えられず、焼き鳥のメニューを追加して、客足を誘った。
しかし、狂牛病に起因する客の減少は、半年ほどという比較的短い期間で済んだという。やはり地域でナンバーワンを誇るブランド店だけに、客足の回復も一番だったようだ。
(2003.8.15 民団新聞)