掲載日 : [2003-09-25] 照会数 : 4843
解放までの「在日」史に光 同胞と市民協力(03.9.24)
[ 「和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会」では光明池のほとりで毎年、慰霊祭を行っている ]
8年かけ聞き取り調査、冊子に…市史にも反映へ
【大阪】大阪府和泉市とその近隣の日本人有志らが、地域に秘められた解放前の在日同胞の歴史を掘りおこし、冊子として発行した。調査は8年がかりで、多くの在日同胞が協力した。調査の結果、初めて明らかになった事実も多く、市としても今後、編さん予定の市史改訂版に近現代編を設けて今回の調査成果を反映させたい意向だ。
冊子の編集委員会は、元高校教員の三宅美千子さんら6人で構成している。母胎となったのは同胞・市民有志でつくる「和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会」。
会はメンバーの一人で民団泉北支部の李漢さん(71)が支団長当時、総連支部委員長にも参加を呼びかけ95年に発足した。
李さんは当時を振り返って、「和泉市における在日同胞の歴史は当時、ほとんど調査されていなかった。日本人との共同作業で地域の歴史を掘り起こし、市史にはっきり出して後世に伝えたかった」と話している。
会がまず取り組んだのは市内の光明池と在日同胞との関わりだった。築造工事で在日同胞が多数犠牲になったと言い伝えられてきたが、具体的なことはベールに包まれたまま。会は光明池に建つ石碑から拓本を採取、工事の元請が大林組だったことを知った。また、本堤防西岸にある祠が工事で亡くなった「朝鮮人犠牲者」を慰めるためのものであることも突き止めた。
98年からは三宅さんら6人が中心となり、李さんら在日同胞の協力を得て古老からの本格的な聞き取りに入った。生き証人に会うため、韓国にも足を運んだ。冊子に収録した証言は10数人だが、実際の聞き取り人数はこの倍以上に上った。
証言から当時の過酷な労働の一端が判明した。堤防の築造にあたっては傾斜を利用して土砂を運ぶトロッコがたより。ノルマに追われ、スピードを要求されたためか「事故で複数の犠牲が出た」という。
光明池近くに住む米田佐一さんは「2,3回、朝鮮風のお葬式を見ました。『アイゴー!』『アイゴー!』という泣き声が聞こえていました」と証言している。
犠牲者は山を崩すときの下敷きになるなど、在日同胞ばかりだったという。いかに危険な作業を強いられていたかがわかる。労働争議も頻繁だったようだ。
冊子はA4版67㌻。巻末には36人の協力者名を記載しているが、この半数近くを在日同胞で占める。三宅さんは「不十分だけど冊子を出せたのは『在日』の方とのつきあいがあったからこそ。『在日』の力がなかったらできなかった」と述懐している。
問い合わせは和泉市立人権文化センター内、同編集員会。電話・FAXとも0725(47)1560まで。
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「光明池」とは
大阪でも屈指の規模を誇る「光明池」は旧泉北郡内に農業用水を供給するためのもの。外周が約8㌔㍍、最大水深24㍍、面積は36万平方㌔㍍。当時の新聞には全国一大きい香川県の満濃池に次ぐ規模と記されている。大林組が元受となり31年に着工、36年に完工した。期間中、多いときで300人の在日同胞が工事に携わったといわれる。
(2003.9.24 民団新聞)