掲載日 : [2003-11-10] 照会数 : 4534
石原知事の妄言許すな!民団、謝罪求め抗議(03.11.12)
[ 都庁前で「石原妄言」に抗議する東京管内団員ら ]
都庁前で400人示威・ビラ配布
「繰り返される歴史歪曲」…21支団長ら代表が抗議文伝達
民団東京本部(許孟道団長)は4日、韓日併合問題で歴史を歪曲する暴言を繰り返している石原慎太郎東京都知事に抗議する大がかりな示威行動を都庁第一庁舎前で行った。都内を中心に団員400人が暴言の撤回と謝罪を要求、周辺の5カ所で約5000枚のビラを都民に配った。
この日の示威行動に先立って青年会中央本部が10月29日、民団東京本部でも同30日にそれぞれ正式な抗議文を石原知事に提出しているが、回答はなかった。民団東京本部では「知事に反省の様子は見られず、これ以上座視できない」と、急きょ都内の民団21支部に抗議行動を呼びかけたもの。
まず、都内の民団21支部代表と傘下団体長で構成する代表団が、発言の撤回と謝罪を強く要求する抗議文を持って都庁に入った。石原知事はこの日も不在。代わって日浦憲造秘書担当課長が応対に出たため、代表団からは「敵前逃亡だ」「正々堂々と私たちの前に出て真意を説明するべきだ」と石原知事に対する怒りと不満の声が相次いだ。
この後、参加者全員が都庁第1庁舎前に集合、石原知事が謝罪するまで抗議行動を継続していくことを確認しあい、シュプレヒコールの声をあげた。知事との面会が実現せず怒りの収まらない参加者の中からは、「これからみんなで(知事の外出先の)大田に行こう」との声すらあがった。
民団東京本部ではこれからも継続、石原知事との面会を求めていく考えだ。
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民団東京本部、青年会中央本部の抗議に続き
今回の管内同胞緊急抗議行動よりさきの10月29日、民団東京本部は、「韓民族の心情を強く踏みにじるもので、到底容認できない」などとする抗議文を発表、翌30日に許孟道団長をはじめとする抗議団が都庁を訪れ、「妄言の即刻撤回と公式の場での謝罪」を求めた。
青年会中央本部(壽隆会長)の抗議団は29日、都庁を訪れ、「妄言」の即時撤回と謝罪、および社会的責任をとっての辞任を要求する抗議文を提出した。
石原都知事による一連の問題発言をめぐっては青年会がその都度抗議行動をとっており、これが3回目。
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民団中央本部団長が抗議談話
民団中央本部は4日、連日の「妄言」に抗議し、石原都知事に発言の撤回と謝罪を求める金宰淑団長名の談話を発表した。談話文全文は次の通り。
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石原慎太郎東京都知事は、10月28日、都内で開かれた「北朝鮮による日本人拉致問題の集会」で、1910年の韓日併合について、「朝鮮人の総意で日本を選んだ」「どちらかといえば彼らの先祖の責任」である旨の暴言を吐いた。それに対して私たちは強く抗議してきたが、石原知事はまた10月31日の定例記者会見で、「当時の韓国の政治家たちが合議して決めた」、他の国の植民地支配に比べれば「日本がやった植民地主義は人道的、人間的だった」と、自身の主張を再び繰り返した。
日本による韓国併合は「朝鮮人の総意」で選んだものではなく、日本の武力によって強制されたものであることは歴史的事実である。また、韓日併合を韓国人の「責任」と強弁し、塗炭の苦しみを嘗めてきた私たちの先祖を冒涜し、なおかつ暴言の撤回どころか、重ねて誤った歴史観を繰り返したことは到底容認しがたいものである。
石原知事によって繰り返される歴史歪曲の暴言に、私たち在日韓国人の強い怒りは収まらないでいる。石原知事は事態の収拾のため早期に自らの暴言を撤回し、謝罪しなければならない。
韓日両国は昨年、サッカーワールドカップを史上初めて共催し、政府レベルはもちろん、市民レベルの交流の高まりを背景に同事業を大成功に導き、韓日両国は過去のどの時代よりも友好関係が増進しつつある。また、世界が強い懸念を表明している北韓の核問題解決についても、両国は共同歩調で対処することを確認している。
韓日両国が協力して東北アジアの平和体制を構築しなければならない重要な時期に、石原知事は何の意図があって、真摯な交流を続ける両国国民に冷水を浴びせ、韓国に不信感をもたらすのか。 石原知事はこれまで「三国人」発言をはじめ、外国人を犯罪者であるかのように蔑視する発言など、私たち外国人の人権を著しく侵害し、外国人への偏見をいたずらに助長する暴言を繰り返してきた。
石原知事の誤った歴史観による暴言は、日本帝国時代に深く傷つけられた韓国民と、植民地支配によって差別と蔑視のなかで呻吟して来た在日韓国人を著しく傷つけるものであることを深く理解すべきである。
日本の首都であり国際都市である東京都の知事として、石原知事はこのたびの一連の暴言を自省し、隣国と友好関係を深め合い、ともに共生社会の実現に努めるよう私たちは強く求めるものである。
(2003.11.12 民団新聞)