掲載日 : [2016-01-01] 照会数 : 10019
<丙申年>笑い施す猿 さて あやかれるか…池官
[ <丙申年>笑い施す猿 ] [ チ・ジョンガン 1940年、韓国光州生まれ。国立ソウル大学の文理科大学で宗教哲学専攻、イギリスのCamera Press、フランスのGamma通信社のソウル報道記者、同通信社の東京、ニューヨーク特派員を務める。
現在、日本外国特派員協会会員、横浜で韓国についての歴史勉強会を開いている。
著書に『日本の中の韓国人(ハングル版)』(韓国・全南毎日新聞社出版、77年)、『あのころあの町で』(NHK出版、06年)、『私の韓国現代物語』(クレイン出版、09年)。その他、欧米と日本、韓国の雑誌、新聞に記事多数。 ]
韓日にも和気が戻れば
処世術にもすぐれて
猿年に生まれる子は賢い
「今年赤ん坊を産んでも大丈夫でしょうか」
新婚の婦人とお腹に赤ちゃんを持っている彼女の友人はこれから生まれる子どもの将来が気になる。今年は猿年(원숭이해)。
「いいのよ。産んでよ。猿は頭がいいし、処世術が上手なの。頭がよい子が生まれれば育てるのが楽しいし。猿年に生まれた有名人も多いわ」 「そうね、人に聞いても蒸気機関車を発明してイギリスの産業革命を起こしたジェイムス・ワット(1728〜1809)も猿年だというしね」
女性たちは楽しく笑う。喜んで期待をする。 いつから年を12期に分けて動物の名前をつけたのか。鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、豚。
それで12年毎に同じ動物の顔がカレンダーを飾る。今年は猿のカレンダーが部屋の壁に掛けられる。
猿のイメージが韓半島に伝えられたのは陰陽五行説を内容にした道教とともにだったのか。三国時代から残されている墓を見ると守護神として十二支の動物たちが絵や彫刻として墓の玄室と地上の周りを飾っている。
ソウル周辺にある朝鮮朝の王の墓にも見られる。特に新羅では獣頭人身だったが、朝鮮朝には獣冠人身である。つまり三国時代には頭は動物で体は人の形象だったのが、高麗時代を経る過程で像が変わってしまった。
動物は人が被っている冠帽に彫ってある。手には笏を持っている文臣であるが、場合によっては武器で武装した神将にもなり、墓の主人公の霊を守っている。
墓の周りに屏風石12個を立て、その上に彫った。12個の屏風石は12方位を防衛するためだ。
十二支の動物が結婚を決める?
「婚期になったら相手を選ばなくちゃね」
母たちの心配は続く。 「猿年と合う相手は誰かな」
「そうね。兎年の生まれと羊年の生まれは合ってると言われるけれどね。同じ草を食べるから仲がいいらしい。ネズミはいつも、ものを集めるじゃないの。富裕になるから羨ましい」
十二支の生まれた年、つまり干支(えと)を韓国語ではddi(띠)と言うが、語源はさまざまである。腰に掛けるベルトを韓国語では と言い、日本語の帯の意味になる。人間の体を帯のように回る「気、기」であると解釈している人もいる。お腹で赤ん坊を育てる子宮の中の袋を韓国語では태(胎)という。道教では生命の始まりであると信じる。それでは胎が の語源?
生まれた後も胎は大事にして明堂(명당、墓または家を建てるのによい敷地)の土に埋める。韓国では王など有名人の胎を埋めた山や丘の名前が未だに残っている。
母たちは赤ん坊が大人になり結婚の時期に至ると、宮合(궁합、相性)を気にする。蝙蝠のように多孫多福の幸せな夫婦になることを願うからだ。
宮合は将来幸せになるための相手を選ぶ条件だ。十二支の動物、即ち干支を見て生まれた月と日にちと時刻を合わせ、宮合が合う(궁합이 맞다)か、どうかを占うことが昔からお見合いの習慣であった。一度婚姻式を挙げたら一生髪がネギの根っこのように白くなるまで暮らすことが人生の義理だ。そこには必ず十二支の動物が作用する。
十二支の動物にはそれぞれそれなりの意味と生活習慣がある。しかし猿は韓国にはいない動物で、その生き方が分からない。実物を見たことがない人もいる。
動物園に行かなければ見ることはできない。なのになぜ十二支の動物の列に並んでいるのか分からない。
猿は日本では野生も多いし、その種類も多い。世界的には200種類がある。中国にも多い動物である。猿から「朝三暮四」という処世術を教えてもらった中国人。トチの実を与えるのに朝には四つを与えて夕方には三つを与えることを学んだ。中国人は昔から猿と親しい暮らしをしたようだ。
ハングル創造猿にも功績が
記録によればその中国人が朝鮮に猿を贈ったことがあった。武力で建国され殺伐としていた朝鮮朝の初期であった。宮中で初めに猿を見た王や両班たちは、絶えない爆笑を弾かせ話題が町に広がった。儒教の重い礼法に覆われていた派閥の宮中は、猿の茶目に上下臣下が笑い、御前であっても互いに微笑んだ。
世宗王の文士たちはこのようななごやかな雰囲気の中でハングルを創作するようになったことは、中国から贈られた猿のお蔭であったと言ったら言い過ぎだろうか。慶福宮の勤政殿の廊下には猿像が彫刻され思索する姿で座っている。
今のように核家族社会で平等でない朝鮮朝社会、天と地があって陰陽がある上下の封建社会でも、母たちは猿から処世術を学び、嫁ぎ先にいく娘にその知恵を教える。 「3年間はね、見ても見ないように、聞いても聞いてないように、口があっても言わないように(삼년동안에는 보아도 멋본척、들어도 못들은척、입이있어도 말하지마라)」。婚家から追い出される理由である「七去の悪」があり、大家族の婚家で旦那を支えて子どもを育てるのがどの位難しいことか、母は猿に学んだ教訓を語った。
猿は処世術だけではなく百姓たちを楽しませた。京畿道の楊州の別山ノリの仮面劇、殷栗仮面ノリ、康 仮面ノリなどに登場する猿の踊りは、収穫を終えた村人を楽しませてくれる。この赤猿は赤い仮面を被り踊る。人間の真似をしながらピエロのように面白い話で、集まっている民衆に茶目を振る。猿が一匹もいない韓半島なのに旅芸人たちはどこから猿のことを学んだのか。
くじけない勇気もたらす力も
私が初めに猿を見たのは6歳のころ、終戦の時だった。南方から進駐した米軍兵士たちはペットとして猿を持って町に着いた。町の人々は片手でミカンの皮を剥いて食べる猿を見て感嘆した。珍しいこの動物は、今まで命令と規律の下で暮らした町人に笑いや楽しみを施した。
「猿も木から落ちる時があるよ(원숭이도 나무에서 떨아질때가 있다)」という諺が韓国にもあるが、その意味は七転八起のことのように絶望しないで再び挑戦する勇気をくれる。学校の成績では秀才と言われた私の兄が入学試験に落ちた時、父は彼にこの諺を言った。兄は浪人として一年を送り、また挑戦して希望の入学をした。猿はまた木に上がった。
猿は我らを楽しくしてくれるし笑いを施す。今年は猿年だ。凍っていた韓日関係にも和気を戻してくれるだろうか。
(2016.1.1 民団新聞)