掲載日 : [2016-02-24] 照会数 : 14409
構想9年自信作…純日本産「掛川まっこり」
[ 南貴晴オファード代表 ] [ 杜氏の山本浩己さん ] [ きぬさらと掛川まっこり ]
「僕たちは僕たちの味を作っていかなくてはいけない」。2014年11月、地元で製造した純日本産「掛川まっこり」(掛川限定販売)を販売したオファード(静岡県掛川市)の南貴晴代表(40、在日3世)は、韓国の伝統酒であるマッコリの製造技術を学ばせるために社員を3年間、韓国に派遣した。この間、南さんは約1年をかけて酒造免許を取得するなど、日本での体制を整えていった。新商品も出来上がり、全国販売に向けての準備を進めている。
全国展開へ新商品も用意
父親が営んでいた塗装業の看板を下ろし、介護給食などを手がける会社を運営してきた。仕事は安定していたものの、会社として発展できる他の事業を模索していた。
会議を重ねた。「簡単に真似できず、自分たちで作ったものを売る仕事がしたい」という意見に心が動いた。南さんは自身も大好きで、当時日本ではほとんど出回っていなかったマッコリに注目する。「日本でマッコリを作る酒造メーカーになったら、そう簡単には真似できない」
慎重を期したのは、誰から技術を習うか。韓国から技術者を呼ぶのはいちばん早いが言葉の問題がある。さらに技術の伝承は本当に出来るのか、途中で止めると言わないかなど不安定すぎると考えた。出した結論は「何年かかってでも、自分たちの中から作り手を出す」ことだった。会社の事務長だった山本浩己(39)さんに杜氏候補として白羽の矢が立った。南さんは山本さんに「必死にやって失敗したらそれでいい」と告げた。
知り合いも、つてもなく、言葉の分からない山本さんが韓国へ渡ったのは2010年。南さんから「全て自分で開拓しろ」と告げられていた。
山本さんは延世大学の語学堂に入学。日本人との接触は断ち、1年半懸命に韓国語の習得に専念する一方、マッコリ技術を習得できる場所はないかアンテナを張った。何か繋がりを持てるかも知れないと料理学校に入学したり、マッコリの名人や関連会社を訪ね、弟子入りを志願するが、断られ続けた。
もはや打つ手がないと、諦めかけていた山本さんに朗報が届く。掛川青年会議所の理事長も務める南さんは、松井三郎掛川市長にマッコリづくりの構想を話していた。伝統酒製造の街で知られる韓国江原道横城郡から、生涯学習都市として姉妹都市提携を結びたいとのオファーが掛川市にあったのだ。
伊村義孝副市長から連絡をもらった南さんは11年、掛川市の視察団メンバーとして横城郡に同行。「マッコリの勉強を続ける日本人がいる」と伝えて韓奎鎬横城郡守の協力を得ることになる。
その後、山本さんは伝統酒専門学院、国立農業科学院の教授からマッコリ製造技術を学ぶ。さらにオファードと同院は、酵母などの共同研究を共有する契約を結んだ。
山本さんは卒業試験に提出したマッコリで、外国人として初の優秀賞を獲得。この間、南さんは名古屋国税局にたびたび出向き、約1年かけて酒造免許を取得した。
山本さんは13年に帰国。絞り機だけは韓国製を使用、他の機械は日本酒を造るタンクなどを掛け合わせて使っている。
最初は米も気候も違う日本で本来の味を出せなかった。何百㍑というマッコリを廃棄した。試行錯誤を繰り返し、14年11月、「掛川まっこり」の発売にこぎ着けた。構想から9年目。フルーティーで爽やかな酸味のきいた味は人気上々だ。
南さんは「山本自身は人生を賭けてやってきている」といい、焼肉業界の企業が集まる展示会や各種の食品・飲料専門展示会などでPRに努めている。これまでの集大成として製造した新商品「きぬさら」を手に「今後は全国に広めて、日本でマッコリを飲む文化を作っていきたい」と力を込めた。
(2016.2.24 民団新聞)