掲載日 : [2003-11-26] 照会数 : 5597
「日の丸」選手への無視 寺島善一(明治大学教授)
孫基禎先生が亡くなったのは、2002年11月15日のことである。とるものもとりあえずソウルに向かった。
葬儀が執り行われた11月17日の朝は、雪であった。三星ソウル病院の葬儀場の両側には、韓国体育協会、韓国オリンピック委員会、それに歴代大統領の供花で埋め尽くされていた。
日本からはどんな組織、団体から供花・弔電が来ているのか調べたが、何もなかった。葬儀には日本からどんな人々が参列していたのだろうか。柳美里さんが朝日新聞に書かれたように、テレビ朝日のディレクター、運動用具メーカーソウル駐在員と私だけであった。サッカーW杯日韓共催で、日韓のスポーツ界のより強い絆が結ばれたはずなのに…。
聞くところによれば、韓国オリンピック委員会からは「公電」が日本オリンピック委員会に打たれていたと言うのに。日本の「日の丸」を付けさせ走らせて、「金メダル」を取った選手が亡くなったのに、供花も、弔電もない。これは何を意味するのか?サッカーW杯日韓共催の、成果はなんだったのか?
孫さんの長年の夢であった日本と韓国のスポーツ協力・交流の発展が、2002年のW杯で現実のものになったのではなかったのか?その事に対する孫さんの貢献を無視しているようであった。
このままでは孫さんは無念だろうと考え、孫さんの母校である明治大学で、「孫基禎先生を偲ぶ会」を企画した。年末の雨の降る夜にもかかわらず、300人以上の参加者でうめつくされた。
しめやかな、感動的な集まりであったことは、言うまでもない。
(2003.11.26 民団新聞)