掲載日 : [2002-11-15] 照会数 : 7117
ベルリン五輪「民族の英雄」−孫基禎氏が死去(02.11.15)
[ ベルリン五輪で優勝した時の孫基禎氏 ] [ ありし日の孫基禎さん ]
孫基禎翁が死去・90歳 ベルリン五輪マラソン金
日帝植民地時代の1936年、ベルリン五輪のマラソンで「日本代表」の一人として出場し、2時間29分19秒2の五輪新記録で優勝した孫基禎さんが15日未明、持病だった肺炎を患い、心不全のためソウル市内の病院で死去した。90歳だった。
ベルリン五輪当時は植民地下にあったため、同胞の南昇龍さんとともに日本代表としてマラソンに出場して金メダルを獲得し、母国と日本、双方で国家的英雄とたたえられた。「東亜日報」が、表彰台に立つ孫さんの胸の日章旗を塗り消して掲載したことから発行禁止処分となった「日章旗抹消事件」は、植民地支配の象徴とされてきた。
孫さんは93年から動脈硬化と糖尿などを患っており、2000年12月からは持病の慢性心不全と肺炎によって入退院を繰り返していた。遺族には日本で暮らしている長男の孫正寅さん(57・民団横浜支部事務部長)と韓国に住む長女の孫ムンヨン(59)さんがいる。
◇葬儀・告別式は17日、大韓オリンピック委員会(KOC)葬として、三星ソウル病院でしめやかに行われた。遺体は、オリンピック公園国旗広場、故人の母校・養正高校跡に建てられた「孫基禎記念公園」を経て、大田国立墓地の国家有功者墓域に埋葬された。
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抗日意識の象徴に−全同胞に勇気と誇り与える
解放後は韓国体育振興に全力尽くす
孫さんは1912年、平安北道新義州に生まれた。3度の食事も満足に食べたことがないという不遇な少年時代だったという。
貧しい環境から脱出しようと16歳で長野県上諏訪の呉服店に就職。昼は働き朝夕は陸上の練習ができるはずだった。しかし、経営不振から食堂に転業したために、出前などで深夜まで働きづめで眠くて早朝練習もままならない状況が続いた。人の手を借りて無理にでも目を覚ましてもらいながら夜明けの諏訪湖畔での練習がベルリン五輪の勝利につながったと後に語っている。
19歳の時に陸上競技の才能を見初められて養正高等普通学校(ソウル)に入り、本格的にマラソンに取り組んだ。当時は植民地下にあったため、ベルリン五輪には日本代表として出場し、金メダルを獲得した。母国と日本の双方で国家的英雄と称えられた。
韓国の「東亜日報」の「日章旗抹消事件」は解放後も韓国や北韓の人々にとって植民地支配時代の象徴としてとらえられ、「民族の英雄」であるとともに「屈辱の歴史」を象徴する事件として伝えられている。抗日意識が高揚することを恐れた日本の治安当局から、ソウルでの祝勝会も禁止され、電車に乗ることも禁じられたという。南昇龍さんの勧めで入学した東京の明治大学では「陸上はやらない」という約束で走ることをやめた。
祖国解放後は大韓体育会の副会長や韓国陸連会長、韓国オリンピック委員会(KOC)常任委員などを歴任し、マラソンの後進を育てるだけでなく、韓国陸上界の発展に寄与した。1950年、咸基鎔、宋吉允、崔崙七がボストンマラソンで1〜3位を総なめした当時の監督も務めた。
1963年から2年間は大韓陸上連盟の会長を歴任。また、1988年のソウルオリンピックでは聖火ランナーとなり、それ以降は国民体育振興公団・マラソンチームの顧問とサムスン文化財団の顧問として活躍した。
生前、たった一つの心残りとして、五輪公式記録に「日本」国籍として残されたままになっていることだった。米国では86年に孫さんの国籍を韓国に直している。「日本オリンピック委員会(JOC)がIOCに国籍変更を申し出れば解決するはず」との願いは叶わなかった。
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日帝下で同胞の心に〞光〟
金宰淑民団中央本部団長の追悼辞
孫基禎先生は平安北道新義州の貧しい家庭に生まれ、日本による植民地支配という厳しい時代を生きながらもベルリン五輪のマラソンで新記録樹立の快挙とともに金メダルを獲得しました。
この快挙は鬱屈していた同胞に興奮と感動を与えただけでなく、解放を願う同胞の心に生きる希望を与えました。
亡国の民の悲哀を知る孫先生は、解放後の豊かになった祖国の姿に誰よりも深い感慨を覚え、「平和の時代だからこそスポーツができる」と平和の大切さを訴えてきました。
国民の英雄として尊敬を受けながらもその地位に甘んじることなく、常にハングリー精神を持ちながら、バルセロナ五輪のマラソン金メダリスト、黄永祚をはじめとした後輩の指導に当たりました。
また、過去の恩讐を越え、日本の体育関係者らと育んできた友情は、相互理解と共生の哲学を私たちに教えてくれました。ソウル五輪の聖火リレーでは、飛び上がりながら喜びを表現し、トラックを走っていました。その姿は今も世界の人の脳裏に焼き付いています。
孫先生の訃報に接し、私たち在日同胞は本国の国民同様に精神的な支柱を失った哀しみに包まれています。しかし、走り続けた孫先生に思いを馳せるならば、ここで立ち止まってはなりません。先生が残した平和への思いとその実践に学び、揺るぐことのない祖国の存立基盤はもちろん、在日同胞の安定した生活のために精進することを誓いながら、哀悼の辞に代えたいと存じます。
(2002.11.20 民団新聞)