掲載日 : [2005-02-23] 照会数 : 7297
徴用犠牲者を追悼 埼玉・民団と総連合同で(05.2.23)
[ 追悼辞を読む民団埼玉県本部の鄭平普団長 ]
【埼玉】解放の喜びを胸に帰国の途中、船が難破して亡くなった韓半島出身の徴用工を追悼する民団埼玉県本部と朝鮮総連埼玉県本部、埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団による初の合同追悼会が19日、遺骨を仮安置している所沢市の金乗院(田中政樹住職)で行われた。
遺骨は全部で131体分。このうち86体は広島の民間団体などが76年8月に長崎県壱岐郡芦辺町で収骨した。残り45体の遺骨は日本政府調査団が84年6月に対馬で収容したもの。
これらの遺骨は第2次大戦中、三菱重工業広島機械製作所で過酷な労働を強いられた韓国人徴用工のものと推定されている。日本厚生労働省はこれらの遺骨を一時的に預かり、段ボール箱16箱に分散して03年3月から金乗院境内の「釈迦堂」に仮安置している。
関係者によれば、広島の民間団体が発掘・収集した際には1体ずつ骨壺に収めてあったという。厚労省が一時預かりの過程でまとめて処理したと見られる。追悼会に出席した同胞たちは「私たちの祖先を犬や猫、ゴミ同様に扱うとは心が痛む」と目頭を押さえていた。
僧侶の読経に続いて総連埼玉県本部の安正一委員長、民団埼玉県本部の鄭平普団長がそれぞれ追悼辞を読み上げた。鄭団長はこの中で「英霊諸位をいつか近いうちに懐かしい故国山河にお導きしたい」と誓った。
徴用韓国人の遺骨に関しては昨年12月、盧武鉉大統領が小泉首相に「戦時中の民間徴用者の遺骨収集への協力をお願いする」と要請し、小泉首相も「努力したい」と答えている。
なお、厚労省関係者と県知事はこの日、追悼会への出席を見合わせた。
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資料収集に全力 「日帝真相糾明委」会見
この日の追悼会には韓国の「日帝強制動員被害真相糾明委員会」から全基浩委員長をはじめとするメンバー6人が参加した。
金乗院で記者会見した全委員長は「遺骨を見て改めて悲しい気持ちでいっぱいだ。強制動員被害の調査と資料収集にあたり、できるかぎり遺族も探しだしていきたい。資料館をつくることで少しでも慰めになれたらいい。同時に、日本には歴史の反省材料として提供していく考えだ」と述べた。
記者会見には総連中央本部の高徳羽副議長と埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団の石田貞(さだし)日本人側代表が同席した。
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壱岐、対馬で収集
当時、広島の三菱重工には約3000人の韓国人徴用工が労働に従事していた。この多くは45年8月6日の原爆投下で犠牲になった。生存者は解放直後の45年9月15日、福岡県戸畑港から釜山に向け船で出発したが、枕崎台風に遭って韓国には着いていないことが明らかになっている。
壱岐郡芦辺町で収容した遺骨は朝鮮人徴用工の指導員であった深川宗俊氏らが仮埋葬地で発掘・収集した。これらは45年10月10日の阿久根台風によって遭難した帰国船の同胞犠牲者で、広島三菱重工業の徴用工とは無関係ともいわれている。
日本政府調査団が対馬で収集した遺骨は三菱徴用工のものである可能性が高いが、日本政府関係者は「朝鮮半島出身者であることは推定できるが、三菱重工の徴用工の遺骨であるかどうかは推定できない」と答弁している。(84年7月25日、第101国会社会労働委員会での答弁から)
(2005.2.23 民団新聞)