掲載日 : [2005-02-23] 照会数 : 6450
FTA時代と在日の立場 深川由起子(05.2.23)
[ 韓日労働者が共闘し外務省前でFTA反対を叫んだ(1日) ]
深川由起子東京大大学院教授
重味持つ問題提起
韓日FTA(自由貿易協定)交渉の核心には、在日韓国人の存在がさまざまに投影している。「在日」の過去・現在・未来について、多角的な論議が必要だ−−東アジア経済研究の権威で、韓日FTA交渉に詳しい深川由紀子・東大大学院教授は、本紙のインタビューでそう提言し、日本がFTA時代に対応するシステムを構築する上で、定住外国人の先駆者である「在日」の問題提起は大きな意味を持つとも強調した。
韓日FTAの政府間交渉は昨年11月以来、事実上の中断状態にあり、年内妥結は困難との観測が広がっている。深川氏は交渉に時間がかかることを奇貨に、「在日」のステイタス(地位)について国民的コンセンサスを確立する必要性を訴える。
深川氏はそこで、「今年は『在日100年』であるにもかかわらず、先日の最高裁判決に見られるように、『在日』のステイタスは確定しているとは言い難い」とし、「『最初の外国人移民』の位置づけが未確定であるために、日本は各国とのFTA締結後、外国人を社会にどう受け入れていくのか、きちんと議論できていない」と指摘した。
FTAには工業製品や農水産物の物流にとどまらず、人の自由な移動も含まれており、労働力の移動は当然のこと、移民の受け入れも視野に入ってくる。その前提から深川氏は、「日本政府には今後、外国人の秩序だった移入の制度化に向けて、『在日』の存在についての歴史的総括とステイタスの確立が迫られる」と展望し、地方公務員管理職の昇任問題、地方選挙権・被選挙権の是非などが俎上(そじょう)にのぼると語った。
深川氏はまた、日本社会に内向き傾向が目立つことにも言及し、「わずかな数の外国人労働者の問題ですら敏感に反応して、ヒステリックな閉鎖性が強まっている。少子高齢化社会で日本は、ますます保守化して柔軟性を欠いた社会になりかねない」と述べ、「日本が『外国籍住民』のステイタスをどうするのか、その先駆者として『在日』からの問題提起は重要なモメントになる」と結んだ。
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日本の国際化へ鍵握る先駆者 深川由起子東京大大学院教授に聞く
「在日」と韓日FTA交渉の核心
韓国に研究留学した経験もあり、韓国をはじめ東アジア各国の経済研究で第一人者の深川由起子東大大学院教授に、韓日FTA(自由貿易協定)交渉の現状、「東アジア共同体」への展望、それらがまた、在日同胞とどうかかわってくるのか、三つのテーマに絞って聞いた。
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韓日政府交渉のネックは?
水産物と役人気質に
−−多くの国々がFTA締結を進めていて、アジアでも中国やASEAN(東南アジア諸国連合)各国などが盛んにFTA外交を展開している。当初は消極的だった韓日両国も、ここにきてそれぞれ複数国との交渉が活発だ。そのなかで、先進国クラブ・OECD(経済開発協力機構)の加盟国である韓国と日本の2国間交渉はさほど問題もなく、今年中にも合意するとの見方さえあった。
その流れから韓日FTAを機軸に、中国やASEAN諸国までも含んだ東アジア自由貿易圏構想が打ち出され、EU(欧州連合)をモデルとする「東アジア共同体」、「東アジア共通通貨」の論議もあった。ある大手紙は「東アジア共同体元年になるか」といった新年特集まで組んでいる。
肝腎の韓日FTA交渉はどうなっているのか、その先に「東アジア共同体」のようなものが見通せるのか、そういう動きは在日韓国人の存在にどう連動してくるのか、関心が高い。
深川 率直に言って、日韓のFTA交渉はかなり難航している。少なくとも、当初予定されていた今年中の合意はまず不可能だと思う。
現在、日本のFTA対象は韓国のほかにタイ、フィリピン、マレーシアの4カ国で、交渉の枠組み自体の合意ができていないのは韓国だけ。フィリピンとの年内締結は間違いない。議論があった看護師や介護士の資格問題(現地の資格だけで日本で実地研修=実態は就労が可能)も妥結した。マレーシアともすぐに合意できるだろう。タイとは水産物問題を抱えていても枠組みでは合意した。
ノリ輸入制限韓国が猛反発
対韓交渉が難航している直接の原因は、この4日に韓国が日本のノリ輸入制限をWTO(世界貿易機構)に提訴したことでも分かるように、水産物問題にある。日本が主に韓国ノリの輸入数量を割当制にして、実質的に輸入を制限しているもので、ほかの近海水産物にも金額や捕獲量などで枠を設けている。理由は乱獲防止と国内業者保護だが、この制度は同じ魚をとるのにコストが高い日本の業者にとって頼みの綱。先進国で水産資源の輸入割当制を実施しているのは日本だけだ。
韓国も日本同様の水産大国で、対ニュージーランドなどでは水産物輸入制限で日本と「共闘」しているが、近海水産物の輸入制限は韓国にとっては切実だ。日韓には他国との交渉でよくある農産物をめぐる齟齬(そご)はほとんどないが、水産物では宿命的な問題を抱えている。今回は、韓国政府のWTO提訴という強硬姿勢で、FTA交渉は暗礁に乗り上げる形になった。
一時的な冷却期間も必要に
交渉の進展を阻害する要素として、日韓それぞれの交渉当事者に、今回の「ノリ提訴」に見られるような、交渉相手への伝統的な不信感に加え、それぞれの役人事情が絡まっている。
まず、日本側には縦割り行政の弊害がある。FTA交渉に臨む日本の窓口は4省庁にまたがっている。まず交渉の調整にあたる外務省、工業産品を扱う経済産業省、農林水産物を担当する農水省、そして関税を扱う財務省だ。それぞれの担当者で温度差は微妙に違い、場合によっては利害が対立する。私が相手国の担当者だったら気が狂いそうになるかも知れない。この点韓国側は、通商外交部に窓口が一本化されて、すっきりしている。
ただ、韓国側にもかなり問題があって、日本側の不信を呼んでいる。韓国が個別のFTA交渉を始めた国(地域)は、ASEAN全部の国々、NAFTA諸国(米国、カナダ、メキシコ三国FTA)、中南米諸国など全世界に及んでいる。
FTA合意までには非常に繁雑な交渉を継続する粘り腰や体力が不可欠で、日本では現在の4カ国との交渉が手いっぱい。それで仕方なく、フィリピンとの合意を最優先するというプライオリティを設けた。日本の担当者から見て、韓国側のプライオリティ、熱意の在りかが今一つ不明確だ。
韓国と日本のFTA交渉は先進国らしいハイレベルの合意が求められる。先進国と開発途上国のような、途上国側の「甘え」という、一方への偏りは極力避けなければならない。韓国の工業製品が世界中に進出していても、韓国国内への日本製品流入の恐れや中小企業の日本製品排除の指向性はなお根強い上に、ご存知の通り水産物では宿命的な火種を抱えている。
韓国側にも、それらの国内事情を振り切ってまで日本と合意しようとする意気込みが感じられない。これは韓国経済の冷え込みとも無関係ではないだろう。韓国企業の輸出競争力が大いに飛躍しているが、これは一部企業のことで、しかも輸出競争力の上昇が国内景気や失業率低下に全く貢献していない。
日韓交渉は当初の思惑とは違って、一時的な冷却期間の設置、あるいは中断ないし頓挫といった事態に向かっているとさえ言える。
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「東アジア共同体」の展望は?
閉鎖的な日本 枠組形成遠い
−−FTA交渉自体が行き詰まっているとなれば、一部で期待が持たれているような、韓日が中核国家となる「東アジア共同体」構想は、夢のまた夢といったところか。
『東ア共同体』論議先走りも
深川 そういう地域主義の発想は、EUに結実した欧州の例が一応成功している影響だが、結成までに1世紀以上の積み重ねを要したことも念頭に置くべきだ。二つの大戦を含む対立軸の排除、域内絶対平和の確立という各国共通の切実な願いがまずあった。経済的にも1人当たりGDP(国内総生産)が3万㌦以上の国々がいくつもあり、経済統合、共通通貨設立の条件は整っていた。
東アジア諸国の条件は、残念ながらまだ極めて不十分だ。地域主義とは要するに国境を捨て、共通の枠組みを形成することにある。相互にリージョナブルになって、場合によっては自国のさまざまなシステムを放棄するということでもある。
例えばこの地域では最先進国である日本の大枠システムを、韓国や中国が自国のシステムを放棄してまで受け入れることは、国民感情を含めたさまざまな理由によって困難なはずだ。その逆についても原則的には無理だろう。現在のEUも、実はこの難題をまだ引きずっている。
共通の枠組み形成には、地域の国々がそれぞれの国民意識や国内のさまざまなシステム、経済力などがすでに「出来上がっている」、つまり成熟しているということが必要条件だ。東アジアでは日本を含めて、自国システムを放棄してまで共通の枠組みを受け入れるほど「出来上がっている」国はない。
現時点では中国の経済力が飛躍的に伸びているが、たとえ、今後数年間でこの地域の経済力が世界でかなり大きな割合を占めるとしても、「統合」への歴史、政治、文化、国民意識などの諸条件が整うにはさらに長い時間がかかる。
例えば、その中核国になるべき日本の国民に内向き傾向が目立つ。世界的に見れば、かなり少ない外国人労働者の問題ですら敏感に反応して、ヒステリックな閉鎖性が強まっている。今後の少子高齢化社会では、日本人の意識はますます保守化して、柔軟性を欠いた社会になりかねない。日本ばかりか韓国や中国でも同じ傾向が見られる。枠組み形成への前途は明るいとは言えない。
また、米国の動向も現状では地域主義にはマイナス要因として働く。昔から米国はアジアでの地域主義の台頭には敏感で、EUのようにかなり意識的に「脱米国」の共同作業を進めなければ、米国の呪縛を断ち切ることは不可能だろう。むしろ中国を含めて、アジア経済は米国依存の傾向を強めている。安全保障を含め課題は山積みだ。
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在日韓国人とのかかわりは?…足跡100年無視できぬ
最初の外国人としての在日
−−FTA交渉などで当面は困難な状況があるにしても、長期的なスパンで見ると韓国と日本、中国など東アジア諸国との人や物などの経済的なつながりはさらに深まる。そういう流れの中で、在日韓国人の立場や在日としての存在感、位置づけはどうあるべきか。
深川 在日韓国人は日本で様々に活躍し、日本経済を担う一翼でもあるが、「在日経済」が日本経済と別個に存在するわけではない。FTA交渉の成否は個々の業種で異なるわけで、在日韓国人の取るべき態度はまさに千差万別だ。ただ、在日という歴史的存在は日韓の枠にとどまらず、日本のFTA交渉の核心部分とかかわる重大な側面を持っている。
「自由貿易」という発想は単に工業製品、農水産物などの物流にとどまらず、人の自由な移動も原則に含む。実際には、いろいろなルールの枠内で労働力の移動が行われ、やがて移民の受け入れも視野に入る。
日韓FTA交渉でも医師、助産婦、看護師など、韓国の資格のままで日本で勤務できるように(もちろん相互的に)する条項もある。FTA合意後、来日する有資格者の中で一番多いのは大学教授とされ、大学構内で「貿易摩擦」が起こるのではないかという笑い話があるが、一概に冗談とは言い切れない。
近代日本での「外国人労働力の移入」、つまり国籍を変えない、帰化しない移民の第一号がまさに在日だ。韓国併合後は形式的には日本国籍になったが、近代日本から見ると在日は「最初に来た外国人移民」でもある。その意味で、日韓FTAは「新たな在日」の創出という、歴史的な因果さえも含むことになる。
日本政府の側から見ると今後、「ニューカマー」外国人の秩序だった移入の制度化に向けて、「オールドカマー」すなわち在日の歴史的総括とそのステイタス(地位)の整理が迫られる。在日にとっても、自らの歴史的位置づけと、今後の自分たちの拠って立つ場所はどこにあるのかという、自己決定の必要性も出てくると思われる。
今年は「在日百年」とも言われているが、在日のステイタスは先日の最高裁判決に見られる通り、日本社会の中でいまだに確定しているとは言い難い。「最初の外国人移民」のステイタスが今なお未確定であるがゆえに、各国とのFTA合意後、外国人を日本社会がどう受け入れていくのか、きちんと議論できていない。
在日の存在性大いに論議を
今後、外国人労働力を受け入れる場合、初めから一定のステイタスを確保しておくのは当然で、そのとき、「最初の外国人移民」である在日の「かつての苦労」とは何であったのかという問題が提起される。在日は「特別永住者」として一般の外国人とは制度上別扱いだが、地域住民として地方公務員の幹部としてどのクラスまでいけるのか、地方自治体の選挙権・被選挙権の是非など、そのステイタスについての国民的コンセンサスがない。
在日は「ニューカマー」よりは日本社会になじんでいる、という見方は当然できるので、より高いステイタスを保証すべきなのはある意味で自然なことだが、一方では外国籍住民としての制約もつきまとう。このことを在日自身の側からどうとらえ直すのかも、今後問われることになるだろう。同時に、日本社会で〈外国籍住民〉のステイタスをどうするのか、その先駆者として在日からの問題提起も重要なモメントになると思う。
日韓FTA交渉の議論の過程では韓国側の思惑を含めて、実際には在日の存在が様々に投影している。日韓関係の真の発展のためにも、FTA交渉が急速には進展しないというこの機会を逆にとらえて、「最初に来日した外国人移民」という在日の過去・現在・未来について、各方面で大いに論議を深めるべきだ。
(2005.2.23 民団新聞)