掲載日 : [2005-03-16] 照会数 : 6654
在ブラジル同胞被爆者 念願の「手帳」取得(05.3.16)
[ 証人の村上平人さん(右)と対面する泰一さん=中国新聞提供(3月7日撮影) ]
60年ぶり日本人証人
韓日友情年 竹馬の友はありがたい
【広島】ブラジル在住の韓国人被爆者、泰一さん(78)=サンパウロ市=が隣人だった日本人の証言がきっかけとなり、被爆から60年目にして念願の被爆者健康手帳を取得した。「韓日友情年」を象徴する心温まるエピソードとして話題となっている。
被爆者健康手帳を取得するには、原則として被爆状況を証明する2人の第三者証言が必要。証人がなければ、当時の手記などで自ら被爆した事実を証明しなければならない。年月が経過すればするほど立証は難しくなる。肉親の証言も認められていない。
東京で在韓被爆者への支援活動を展開している市民団体代表、中島竜美さんは「こんなことがあんのかと思った。偶然が重なったとはいえ大変珍しいケースだ」と驚いている。
さんは1926年京都市生まれ。42年に広島県山県郡中野村(現・北広島町)に移り住んだ。45年8月12日、弟を広島市内の職場に送り届けた際に二次被爆した。解放後は韓国での生活を経てブラジルに移住した。
85年に初めて広島県に手帳を申請した。被爆の確たる証拠を示せなかったためか、そのときは市から返答がなかった。その後、在韓被爆者からの相次ぐ提訴の結果、手帳取得後に健康管理手当の受給が認められれば日本国外にいても手当を受け取れるようになったことを知った。意を強くしたさんは03年に再び申請した。しかし、ここでも役所の杓子定規な応対は変わらなかった。
このときはさんを後押ししてきたブラジルの被爆者協会でも「ほとんどだめ」と半ばあきらめかけたという。わらにもすがる思いで日本被団協発行の機関紙を通じて最後の証人探しを試みた。幸運にも掲載紙が読者の目にとまって昨年6月、北広島市で農業を営む村上平人(ひらと)さんが証人として名乗り出た。
村上さんはさんについて「星本()さんは家の隣りの小さな小屋で炭焼きしておった。子どものころからお互いの家を出入りしていた」と語る。村上さんがさんの住んでいた、まだ解体前の家の写真を持っていたことも大きな決め手となった。
村上さんは7日、広島市内の病院で検査入院中のさんと約60年ぶりの再会を果たした。村上さんは「子どものころの印象が強く、話しているうちに想い出が鮮明によみがえってきた。戦後大変な思いをされたんだと思う。お役に立ててうれしい」と涙ぐんだ。
さんも「おかげさまでようやく(手帳を)手にできました」と感謝しながら村上さんの手を握った。
長年、同胞被爆者問題に取り組んできた姜文熙さん=民団広島県本部常任顧問=は「韓国やブラジルには高齢と病気のために来日できず、手帳を取りたくても取れない被爆者がまだ多く残されている。被爆60周年のこの機会に、日本は一刻も早く戦争責任を果たしてほしい。われわれに70周年はないのだから」と話している。
(2005.3.16 民団新聞)