掲載日 : [2003-02-09] 照会数 : 5201
黄善洪が現役を引退−指導者目指す(03.2.9)
[ 引退記者会見を終え、全南ドラゴンズの徐ジョンボク団長と固い握手を交わした ] [ 【写真左】昨年のW杯3位決定戦後、代表引退を宣言しヒディンク監督とともに観衆にあいさつする黄善洪。【写真右】昨年のW杯、ポルトガル戦で先制ゴールを決めた黄善洪 ]
黄善洪が公式引退宣言
指導者めざし、今後はコーチに
韓国サッカーの看板スター、「コウノトリ」の異名を持つ、黄善洪(34・全南)が選手生活にピリオドを打った。黄善洪は9日午後、ソウル市内のホテルで記者会見を持ち、現役を引退し指導者の道を歩むと明らかにした。
黄善洪は「現役を退くのは寂しいが、次の夢実現を追いかけたい。将来は韓国代表の監督になりたい」と指導者への道に進むことを語った。
黄善洪は昨年末、右足アキレス腱の治療のためドイツに行ったが、これ以外にも左足大腿部に炎症が発生し、事実上選手生活の維持が不可能と診断された。過去にもひざじん帯損傷など、ケガに苦しめられた黄善洪は今シーズン前半期を終えたあとにユニホームを脱ぐ考えだったが、「自分のプレーを見せられないのはファンたちに申し訳ない」とし、引退を決意した。
黄善洪はこれに先立ち4日、現所属チームの全南ドラゴンズを訪問、「周囲の人たちと相談、選手生活に別れを告げる決心をした」と話し、「残る契約3カ月分の給与6000万ウォンをチームに返却する」と明らかにした。
これに対して球団側は黄善洪のこれまでの貢献度をたたえ、返却を拒んだが、その誠意を受け入れ指導者に育成するという提案と共に、返納給与を全南地域幼少年サッカー基金に活用するため、「社団法人黄善洪奨学会」を設立、運営する意向を伝えた。
黄善洪はこれに伴い全南選手団がトルコ遠征から帰国次第、2軍でコーチとして指導者生活の一歩をスタートさせる。
9才の時にサッカーをはじめ、建国大2年だった88月12月、日本戦でヘディングゴールを決めて華麗に代表デビュー。ケガに悩まされ、挫折もあったが国際Aマッチに103試合出場し、50ゴールを決めるアジア最高のゴールゲッターとして名声をあげた。
昨年の韓日ワールドカップ、韓国の初戦となったポーランド戦では、韓国悲願の初勝利へののろしとなる先制ゴールを決めるなど、洪明甫とともに「4強神話」の引導役を果たした。
韓国国内では93年、浦項製鉄時から2000年まで64試合(31ゴール16アシスト)に出場、Jリーグでもセレッソ大阪時代の99年には24ゴールで得点王の大活躍を見せた。