掲載日 : [2007-10-11] 照会数 : 5568
<布帳馬車>「心の消しゴム」
子どものころから誰に対しても遠慮がなく、身構えない。体裁などは繕わず、気さくに隣人と話をしてきた。昔気質の父親は私のこんな性格がえらくお気に召さなかった。「女は外に出て人と話すものではない」「これはわしの子どもと違う。できそこない」とまで言われた。
さすがにショックだった。だが、当時は父への口答えなど、思いもよらない。日毎、募る父への不満を紛らわそうと、それらをすべて大学ノートに吐き出した。「なんで女が話したらあかんの。女も1人の人間」とよく書いたものだ。あれは私の「心の消しゴム」だった。
記者になったいまとなっては、父が忌み嫌っていたことが全部、私の仕事に生かされている。誰とも気さくに話し、雑談の中から取材に結びつくヒントをもらっている。60歳を過ぎたいまになって、気さくさも記者の武器、雑談も個々の財産になると気づかされた。
父は5歳で渡日した。どっぷり日本の学校教育を受けているというのに、日常生活に昔ながらの儒教文化を持ち込んだ。でも、食事はというと、なぜか和食を好んだ。一方、母は父と違って商売の才覚があり、廃品回収で家計を支えた。父はそんな母をよく怒鳴り散らしていた。
娘から見ると、父こそ日本の植民地支配の洗礼を受けたできそこないのように思える。こんなことを話すと、父は墓場で苦笑いしながら「あれはやっぱりわしの子とちがう。おばはんの子や」と言うのかもしれない。(Y)
(2007.10.10 民団新聞)