掲載日 : [2007-12-05] 照会数 : 5856
<布帳馬車>尾瀬と韓国の意外な縁
自然保護運動の原点といわれる尾瀬が先日、日光国立公園と切り離して「29番目の国立公園」に指定された。大湿原の尾瀬ヶ原、百名山の至仏山、標高2356㍍の燧(ひうち)ヶ岳に加え、会津駒ヶ岳や田代山が含まれた。いずれもすばらしい山々だ。
尾瀬を語るとき、尾瀬沼畔の長蔵小屋を抜くことはできない。尾瀬の開拓に努め、水力発電などの自然破壊に対して、3代にわたって闘い続けてきたからだ。
実はこの長蔵小屋、韓国人と少なからぬ因縁があった。日光が国立公園(尾瀬を含む)に指定されたのは1934年。翌年に新築の長蔵小屋が完成した。客の第1号は、意外にも朝鮮朝最後の王子李垠であった。日本の植民地支配により名目的地位にとどまりながら、「殿下」と呼ばれた悲劇の王子だ。
宇都宮の歩兵59連隊長を務めていたのが縁で、長蔵小屋に足を運んだ。突然の訪問に、殿下用に特別トイレが設けられた。晩秋の尾瀬を歩きながら、どんな感慨にふけったのだろうか。
尾瀬沼の取水工事に対し、長蔵小屋は反対し続けたが、戦時下、強制的に執行された。この時、工事に狩り出されたのが、韓国からの強制連行者だった。標高1500㍍の尾瀬の冬は厳しい。掘っ立て小屋で寝泊まりしていた韓国人が、食べ物をもらいに長蔵小屋によく来たという。
彼らの何人が生き残ったかは定かでないが、長蔵小屋に泊まるたびに、韓国人との因縁に思いをはせざるをえない。(Q)
(2007.12.5 民団新聞)