同胞の癒し願い「千の風…」
先立たれた悲しみ分かち「情愛を母国語で」
韓国のトップ歌手として活躍した成在喜さん(63)の40年ぶりの日本でのカムバックに注目が集まっている。再デビュー曲は「千の風になって」の韓国語バージョン。成さんに思いを聞いた。
永年住んだ日本の地で
「私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません…」。天国へ旅立った人から、残された愛する人への想いが込められた歌詞で、現在、日本でも大ヒット中の歌謡曲「千の風になって」。
1960年代、韓国でトップ歌手として人気を博した成在喜さんが歌うCDが、12日にジャパンミュージックシステムより発売される。
成さんは1965年に韓国で歌手デビュー。「霧雨の降る街」が空前の大ヒットを果たすと、その年の新人賞や歌謡賞を総ナメ。韓国歌謡にジャズの香りを漂わせた天性のハスキーボイスは、かの演歌の大御所、李美子を超える逸材と称された。
その後も「なぜそうなの」などの曲がヒットし、気品漂う美貌から「韓国歌謡界の歌姫」と呼ばれ、トップスターへの階段を駆け昇っていた。
だが、人気絶頂のこのとき、日本の宝石王と呼ばれ、民団新宿支部団長などを務めた在日実業家の金炳榮氏に見初められ電撃結婚。周囲の反対をよそに、トップスターの座をかなぐり捨てて、日本で幸せな家庭を築く道を選択した。
日本に来てからも大好きな歌を忘れる事はなかったが、事業と在日同胞社会の要職で多忙な夫を支えつつ、二男一女を育てる幸福な日々を送っていた。しかし、昨年4月に最愛の夫が死去。精神的なショックが大きく、深い悲しみに塞ぎこんでいた成さんを見かねた友人が、励まそうと聞かせたのが「千の風になって」だった。
「曲を聞いた瞬間、その歌詞がまるで亡き夫からのメッセージのように胸に染み渡り、心が晴れました。その時、この曲を韓国語で歌いたい」との想いが沸き起こってきたという。
40年にわたり家事に専念し、会社や家族に対する責任もある自分に、歌が歌えるだろうか。
李美子さんが後押しも
思い悩む成さんの背中を押し、カムバックに向けてアドバイスを送り続けてくれたのは、デビュー当時から公私ともに親密な李美子さんであった。
「40年ぶりに録音スタジオに入り、ヘッドホンを付けた瞬間、デビュー当時に戻ったような不思議な感覚で、胸がいっぱいになりました」。こうして誕生したのが韓国語バージョン「千の風になって」だった。
先日、NHK国際放送でオンエアされると大反響を呼び、日本の有線放送からも問い合わせが殺到した。韓国でも、かつてのトップスターの再デビューに、テレビ出演のオファーが絶えない。
同胞に対しては、これまで公の場に出ることはなかったが、40年にわたる日本の生活のなかで、同じ同胞として常に情愛の念を持ち続けてきた。CD発売を機に同胞との交流を深めていけたらと話す。
韓日両国での予期せぬ反響に、戸惑いながらも「私と同じように、愛する人に先立たれた悲しみを持つ同胞の方々の心が少しでも癒されれば」と願っている。
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(2007.12.5 民団新聞)