掲載日 : [2003-07-02] 照会数 : 2352
「韓国戦争」53周年を迎えて 韓国主要紙の論調(03.7.2)
忘れられた戦争にしてはならぬ…声一つにして「核開発はダメ」を
盧武鉉大統領は6月25日、「韓国戦争」53周年に際し「韓国戦争はわが民族最大の災難であった。韓国戦争は決して『忘れられた戦争』になってはならない」と力説した。
「6・25」と関連した主要紙の論説は次の通り。
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当時とわれわれの今日
いくら悲惨な歴史であっても歳月に色あせ風に削られ、最後は忘却の世界へ消え去るというが、6・25戦争だけは決して忘れられた戦争にしてはならない。
今、韓国社会は北韓の核開発という絶体絶命の危機に瀕していながらも、漠然とした「平和論」から目覚めていない。戦争を防ぐための断固たる措置を論じること自体を「民族対決」だの「冷戦的思考」だのときめつける風潮さえ蔓延している。
このような社会風潮の中、小学生の10%以上が「『6・25』は日本が起こした戦争」と答えたという、ある現職教師の調査結果は、われわれが次の世代に歴史の真実を教える努力をどれほど怠ったかを示す証拠にほかならない。歴史を忘れた民族に、歴史は悲劇の繰り返しという罰を下す。
一時、戦争勃発の責任が米国と韓国にもあるとする「修正主義」が風靡した。歴史的な実証資料により光を失いはしたが、当時それを先頭に立って主張した人々の「告解」は今だに聞くことができない。
北韓に対する認識を現実にあうよう変えていくことは時代的な要求である。戦争の「怨恨」だけで北韓を見てもならない。しかし「民族和解」という名のもと、北韓政権に対し当然すべき批判すらタブー視したり、「内在的アプローチ」という名で北韓を「北韓式」にのみみることに固執するのは、決して真の解怨と和解に向かう道とはいえない。
なによりも大統領をはじめとする政治指導者が、国家と民族の正統性に対する確固とした信念を持ち、冷徹な現実認識で南北関係に対処していくことが、「6・25」の教訓を今日に生かす道になるだろう。
(朝鮮日報6月25日社説)
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真に昇華する道
「6・25戦争」により韓半島で命を失った者は、南北韓および外国人をあわせ無慮140余万人にのぼる。負傷者は260余万人だった。失踪・捕虜・拉北者・離散家族の数もそれに劣らない。まさにこのようなすさまじい犠牲の基盤の上に今日のわれわれが生きている。われわれが、どの国よりも平和をなぜ強く渇望し追求しなければならないかは、この犠牲者の数だけ見ても自明だ。平和維持は費用を支払わなければならない。平和を破壊しようとする敵の実体を知らなければならぬ。
だが、どうか。いわゆる「平和統一論者」の相当数が、北核事態と関連して主に米国の好戦性だけを非難し、北韓に対してはこれといった要求をしないのが現実だ。南南葛藤の溝が深まる由縁である。これでは、真の平和の定着は不可能だ。
北核事態が戦争に至ることを望む人はいない。われわれみんなが声を一つにして、北韓に対し「核開発はだめだ」と叫ぶ時、北韓も考えを変えるのではないか。それが、無念に犠牲となった護国英霊と冤魂の冥福を真に祈る、われわれ生きる者の任務である。
(中央日報社説6月25日)
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正しい教育
◆5000年の歴史を教科書1冊(教育人的資源部発行の高校国史教科書)に圧縮するので、6・25戦争について十分な説明はできないだろうが、民族が直面している現状況の根本原因があまりにもいい加減に扱われているという思いをぬぐえない。
◆一方、全国教職員労働組合が作ったという「同胞のための統一」という教科書には、6・25戦争を民族和解の立場で教育するとして、6・25戦争前の韓国は腐敗と葛藤の温床で、北韓は社会主義革命により旧悪が解消された社会として描いている。そして「分断を克服しようとする民族の闘争」などの要因から戦争が勃発したと、誰が戦争を起こしたかは重要ではない、となっている。
◆6・25戦争が勃発してから53年が過ぎ、休戦協定調印50周年が近づいている。韓国は6・25戦争の疲弊から回復し、外面的にはまるで違う国のように発展した。だが、まだ6・25戦争は「過ぎ去った歴史」ではない。今も韓国社会を分裂させ、われわれの意識を荒廃させている6・25戦争の影を取り除くには、新しい世代に6・25戦争を正しく教えなければならない。
(東亜日報6月23日「横説堅説」=徐之文・客員論説委員、高麗大学教授)
(2003.7.2 民団新聞)