掲載日 : [2009-11-18] 照会数 : 5896
在日同胞北送開始から50年 『イムジンガン』どう歌う!?
[ ビラなどを入れたアドバルーンを北へ飛ばす韓国の人たち=臨津閣で ]
非情の「楽園」帰国者の無念
臨津江(イムジンガン)と聞いて、在日同胞がまず頭に浮かべるのは、南北の軍事境界線に沿って流れることから、分断を象徴する河川だということ、そしてそれ以上に、《南北に断ち切られた同族・肉親の情をかき立て、統一への思いを募らせる歌》としての『イムジンガン』であろう。だが、この歌ほど政治的な思惑に絡め取られ、同胞の心情を複雑にさせる歌もない。
9万人以上の同胞らを北韓に送り込み、南と北そして日本と、肉親の情を新たに断ち切った「帰国事業」の第一陣出港(1959年12月14日)から50年。当時、新潟港に接岸した北送船から流れてきた『帰国同胞歓迎曲』の作詞者が、『イムジンガン』と同一人物だったのは、何たる歴史の皮肉であろうか。
北の凍土で呻吟したまま、父祖の地である南にも、ともに生活した親知の残る日本にも帰ることのできない同胞たち。離散家族問題は韓半島南北だけでなく、在日同胞社会にも重くのしかかっている。『帰国同胞歓迎曲』はさすがに、もう歌われることはない。だが、『イムジンガン』は今も熱く歌い継がれている。北送家族を持つ同胞たちに、この歌はどう響いているのだろうか。
♪恨みをのせて流れるのか
北体制賛美の犠牲に 今、自由へ命がけ脱出
臨津江は北韓中南部の山間を源流に、河口近くで漢江に合流して西海に注ぐ韓半島7大河川の一つだ。中・下流部が軍事境界線に沿って流れることから、南北分断を象徴する河川として名高い。
だが、全長254㌔のうち162㌔が北側を、92㌔が南側を流れ、南北の政治的、人為的な壁を貫く自然の力の象徴でもあり、場合によっては南に猛威を振るうこともある。北側がダムを無断放流したことで水位が急上昇し、韓国の釣り人ら6人が流され死亡する痛ましい事件(9月6日)が起きたばかりだ。
この河をモチーフにつくられた『イムジンガン』は、6・25韓国戦争の休戦から5年余の58年9月、北韓の「創建10周年の夜会」で発表された。作詞の朴世永(1902年7月〜89年2月)は北韓の『愛国歌』を作詞し、葬儀が社会葬として執り行われたほどの高名な詩人だ。作曲の高定煥(宗漢との説も)とともにソウル出身の、いわゆる越北者である。
語り合う機会の多かった二人はときに、南に残してきた家族をともに懐かしむことがあり、自然な成り行きで、軍事境界線を越えて南北に流れる臨津江にその思いを託した歌をつくろうと、意気投合したと伝えられる。
臨津江の清き水は
流れ流れて下り
水鳥たちは自由に
行き来して飛び交うが
我が故郷は南の地
行きたくても行けないので
臨津江の流れよ
恨みをのせて流れるのか
河の向こうの葦原では
飛び立つ鳥だけが悲しく鳴き
痩せた原野では
草の根を掘っているが
共同農場の穂ごとに
波の上に踊るので
臨津江の流れを
分けることはできまい
『イムジンガン』の原詩をほぼ直訳したものである。公にされているのは1番と2番だけだが、作詞者の朴世永と交流があった在日同胞の話によると、未発表ながら、「誰が祖国を分断させたのか」を問う内容の3番の歌詞もあるとのことだ。
「帰国同胞歓迎曲」も作る
この歌が発表された当時は、朝鮮総連が「帰国対策委員会」を設置(58年8月)し、北送事業に本掛かりになっていた時であり、第一陣が出港する1年4カ月前の時点でもある。
そして59年12月4日、北送第1船の2隻が新潟港に接岸し、14日に北に向け出発するまで、船から流れてきたのが同じ朴世永作詞の『帰国同胞歓迎曲』であった。その歌詞は『イムジンガン』の原詩2番の比ではないほど北を称え、北韓をはっきりと社会主義の楽園と呼んでいる。
早く来なさい同胞たち 兄弟姉妹よ
虐待と飢えも過ぎたことだ
海の上の太陽の光も われらの心のように
帰国船の航路に 花をふりまく
社会主義の楽園は ひろい懐で
あなたたちを 温かく迎える
(「朝鮮総連と収容所共和国」李英和著。小学館より)。
朴世永は日本大学出身であり、南と北をよく知るだけでなく、日本や在日同胞社会とも無縁ではなかった。『イムジンガン』は当然のこと、『帰国同胞歓迎曲』の作詞にもそうした経歴が関係あったのかも知れない。
6・25韓国戦争の休戦(53年7月)からさほど間がないこの時期、北韓は社主義諸国の結束した支援を受けて韓国よりも順調な経済復興の過程にあり、対韓優位の意識を再び強めていた。在日同胞の「帰国事業」も、復興への労働力確保に加え、韓国に対する優位の証・国威発揚の踏み台ととらえていた。
変容しながら根強くいまに
朴世永作詞による二つの曲は、北韓のそうした高揚感を映したものであり、北の体質そのままに極めて政治性の強いものである。今となっては顧みられる歌であるはずがない。『帰国同胞歓迎曲』は当然ながら、怨嗟の対象として墓場深くに葬られた。だが、『イムジンガン』は変容しながらも、根強く歌い継がれている。
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♪河よ思いを伝えておくれ
人の断絶なくしたい 日本の若者が歌い広まる
『イムジンガン』の生命力は何か。2番の歌詞から見て結局は、北韓の優位を称える歌と言わざるを得ないにもかかわらず、歌詞1番の自由な水鳥に託した情念が政治性の濃い2番を色あせさせるほどに強く、哀切なメロディーもまたその情念を掻き立たせずにはおかないからだ、とまずは言えるだろう。
しかし、これだけでは朝鮮総連や左派系の人々の間で歌われるだけで、次のステージはあり得なかったはずだ。1番の歌詞だけを知って感動し、イメージを大切に温めながら、まったく別物とも言っていい、新たな命を吹き込んだ日本人の若者がいなければならなかった。
この歌を『イムジン河』として日本社会に送り出したのは、大ヒット曲『帰ってきたヨッパライ』の作詞者で、ライター・編集者などの顔を持つ松山猛さん(46年、京都生まれ)であり、その仲間のフォーク・クルセダーズだ。
東芝音工(現・東芝EMI)によるレコード・リリースは68年2月だが、フォークルは65年の結成から間もなく、ライブで歌い始めている。
松山さんは、知り合った朝鮮高校の生徒からメロディーと1番の歌詞(日本語訳)を教わり、2番・3番を「南北がひとつになれば」との気持ちを込めて書き加えた。 この詩を「世間の相変わらずの差別意識を変えるために、まず身の周りから人間の自由や平等を音楽で訴えよう」と、フォークルに持ち込み、松山さんが聞き覚えた旋律を加藤和彦さんが採譜した。
大意が原詩と同じ1番は除いて、松山さんによる『イムジン河』の2番・3番の歌詞を見ておきたい。
北の大地から南の空へ
飛びゆく鳥よ自由の使者よ
誰が祖国を二つに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの
イムジン河空遠く
虹よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない
イムジン河水きよく
とうとうとながる
歌の主人公の身は北にあり、北から南へ投げかける構図はそのままでも、この歌詞は南北いずれかの立場から一方を貶めることを許さない強いメッセージ性があり、松山さんが意図したとおり「南北がひとつになれば」との思いがにじむ。多くの同胞らが北と南を自在に入れ替えつつ、統一への鮮烈な願いを感じ取ってきた。
松山さんは「初めてコンサートで歌ったとき、会場は今まで体験したことのない静けさにつつまれ、演奏が終わっても静まり返ったまま。しばらくして嵐のような共感の拍手が起こり、それは感動的でした」と語っている。
(韓国で歌われる『イムジンガン』は、1番はオリジナルどおり、2番は「臨津江の空高く/虹のかかる日/昔の友人が原野で/私の名を呼ぶとき/私の心、故郷の姿が/思い出の中に消えても/臨津江の流れを/分けることはできまい」となっていて、松山さんの影響を感じさせる)
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意識から消せない北韓の現実
すでにラジオなどでリクエストの多かった『イムジン河』は、『帰ってきたヨッパライ』に次ぐフォークルの大ヒット第2弾になるはずだった。だが、13万枚のプレスが終わり、いざ発売という段になって事件が起きる。
総連の抗議で発売を断念も
朝鮮総連が猛然と抗議し、北の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、なお歌詞は原作に忠実にすることを求めたのである。東芝音工は総連の要求をのめるはずもなく、南北対立状況などへの政治的な配慮から発売を断念した。
(その決定から9カ月後の68年11月、総連の指定した訳詞でザ・フォーシュリークが『リムジン江』のタイトルでレコード発売し、当時20万枚を売ったが、これも放送禁止扱いとなった)
しかし、『イムジンガン』の生命力は強かった。発売断念の直後から、松山さんの詩になる『イムジン河』を残そうとする運動が起きたのをはじめ、今に至るまで韓国人と日本人と在日同胞とを問わず、何人何組もの歌手たちが松山さんの詩を、あるいは独自の詩をあの哀切に満ちたメロディーに乗せ、コンサートで歌い続け、アルバムに収録してきた。
きたやまおさむ、新井英一、都はるみ、金蓮子、高石友也、ばんばひろふみ、杉田二郎、新垣勉なども名を連ねる。松山さん自身、34年後の02年、封印を解いて復刻版をプロデュースしている。
「隣国の問題だけではなく、誰にもある親子や人間関係の断絶など、人と人の心を隔てる問題を語り合い、見つめなおすきっかけになれば」。松山さんが復刻に際して語った言葉の中に、この歌が根強い支持を得ている理由があるのだろう。
だが、この歌には政治的な思惑が寄り添いやすい。北韓に従属・追従もしくはシンパシーを示す団体などが催す「統一集会」などで、分断の悲しい物語を語り、統一への情念を哀切に歌うことによって、北への冷静な対応を封印し、民衆を虐げて恥じない北独裁政権の責任を覆い隠そうとする傾向は消えていない。
在日同胞がこの歌を歌うのであれば少なくとも、短時間のたった1回の面会さえほとんど不可能な南北離散家族のことを、北に身柄を押さえられたままの日本人拉致被害者とその家族のことを、そして凍土で呻吟する帰国同胞と里帰りもできないその日本人妻たちのことを、思い起こしたい。
(2009.11.18 民団新聞)