掲載日 : [2009-11-26] 照会数 : 4572
〞北韓で何があったのか〟 在日の脱北者が重い口開き証言
[ 大阪での市民交流会で語る脱北元同胞 ]
大阪で市民集会
「北朝鮮帰国者の体験を聞く市民交流集会〜北朝鮮で何があったのか、語ります〜」が10月25日、大阪市内の会場で開かれ、在日同胞の脱北者らが証言した。貧しさがゆえに、あるいは祖国建設・統一の担い手になりたいとの意欲がゆえに、「帰国」を選んだ。理由は様々でも、その後の境遇はともに悲惨だった。
放置死体処理も
金笑子さん(広島県生まれ、59歳。大阪府在住=61年に一家で帰国。咸鏡北道に配置。03年、先に脱北し韓国にいた息子の協力で脱出。04年8月、43年ぶりに日本に)
北に行ったのは11歳の頃。学校の給食費をもっていけず、みんなの前で先生から名指しされ、とても恥ずかしかった。そんな時期に総連の人が来て、北ではお金がなくても病院や学校へ行ける、と熱弁を振るった。
北で最初に住んだ家は現地の人の家の一室で、小さなカマドをつけただけのもの。傍らの壷には10日間分の米があった。配給は15日に1度。それも、国の行事があるからと年々減らされた。本当にひもじかった。
67年にオモニが亡くなり、アボジも看病と貧困から精神に異常をきたし、精神病院へ。私は一人で生き、68年から漁郎(オラン)郡の人民学校(小学校)で教員などいくつかの職に就き、同じ帰国者の男性と結婚した。
90年代中盤からの経済難は、日本に居た夫の親類の仕送りや商売で命を繋いだ。飢餓でたくさんの人が亡くなった。放置された死体の処理をさせられたことを思い出すと、今でもゾッとさせられる。
親族の罪を負う
リ・ハナさん(仮名=80年代半ば北西部生まれ。01年に脱北後、05年に日本入国。大阪市内でアルバイトしながら09年に関西圏の大学に入学)
両親は在日2世で、北に渡ったのは78年。アボジは、大きな病院の医者、オモニは学校の先生だった。当時住んでいた家は2DK。帰国時のアボジの財産と仕送りなどで90年代末までは裕福に暮らせた。家には自家用車もあった。
だが、オモニの親戚が罪をおかすと家族全員がその罪を問われ、農村に送られた。生活は一変し、生き抜ける状態ではなくなった。
01年にオモニと弟と3人で脱北し、中国東北部の朝鮮族にかくまわれ、4年間各地に潜伏しながら工場で働いた。
(2009.11.25 民団新聞)