掲載日 : [2010-04-14] 照会数 : 6168
<関東大震災>虐殺の地に恩人の碑 史跡巡りで確認、友好誓う
[ 姜徳相館長(中央)の説明を聞く参加者 ]
【神奈川】関東大震災の史跡を巡るフィールドワークが10日、神奈川県で行われた。在日韓人歴史資料館(姜徳相館長、韓国中央会館別館)が主催した。東京都内、埼玉に続いて今年で3回目。定員いっぱいの59人が参加した。
神奈川県は関東圏の被災地では、人口の割に虐殺被害が最も大きかった地域。虐殺は震災直後から始まり、2000〜3000人が犠牲になったという。戒厳令が敷かれる前から横浜市内に陸戦隊が乗り込んだというのも異例だ。「朝鮮人をやるために来た」と告げると、自警団は一斉に「万歳」を叫んだという。一説には「朝鮮人が動乱を起こそうとした」といった流言は横浜から東京方面に伝播したとされる。
こうしたなか、横浜市内には日本人に対する碑が2つあることも確認した。いずれも当時の同胞たちが同時期に建立した。
一つは同胞が埋葬された三ツ沢墓地で震災の翌年、犠牲者のために追悼会を行った元海軍大佐、村尾履吉氏に対する「敬慕碑」。村尾氏は1933年、三ツ沢市営共同墓地に私財を投じて朝鮮人無縁仏の遺骨を引き取るための納骨塔と朝鮮人弔魂碑を建立した。この塔と碑は1947年、村尾氏を敬愛する同胞たちの手で港北区にある菊名山蓮勝寺に移された。隣には民団神奈川本部が89年に建立した墓地改修記念碑が並ぶ。
もう一つは体を張って同胞の生命を守った大川常吉(当時、鶴見警察署長)の顕彰碑。鶴見区の東漸寺にある。
また、西区の久保山墓地管理事務所付近では、「一市民」たる石橋大司氏が74年に建立した「殉難朝鮮人慰霊之碑」を見学した。石橋氏は小学校2年の時に虐殺死体を見てから追悼碑の建立を願い、51年目に実現した。
民団建立慰霊碑も
一行は民団神奈川本部が建立した関東大震災韓国人慰霊碑のある南区の宝生寺にも足を運び、花を手向けた。
(2010.4.14 民団新聞)