掲載日 : [2010-06-09] 照会数 : 5725
手を取りあう在日脱北者 関西で「人権連合」発足
[ 金俊広会長 ]
「北の実態伝えたい」
日本国内では初
【大阪】大阪在住の在日同胞元脱北者たちが相互支援団体「在日脱北者人権連合」を立ち上げ、活動している。
日本国内の脱北者は200人近いといわれている。このうち、大阪に35人。これからも増えるものと予想されることから「当事者同士で支え合い、新たに来日する仲間のサポートもしたい」と10人が集まり、2月26日に立ち上げた。約2万人の脱北者がいる韓国では数十の当事者団体があるが、日本ではこれが初めて。
脱北者は数十年ぶりの日本で生活習慣の違いに戸惑うことばかり。北韓で生まれ育った子どもたちも、北韓で偏った歴史教育を受けるなどハンディを抱えている。日本語の習得や就職先の確保も大きな課題だ。日本政府からの支援は受けられず、横の連携もほとんどないといわれる。NGOら善意のボランティアたちの支援だけが頼り。
当面は脱北者の支援活動を日本全国に広げ、ネットワークを強固にしていく予定だ。
脱北者の多くは北韓に残した家族の安否を気遣い、素顔と実名は明かさない。ところが、金俊広さん(59)はNHKテレビに出演、顔を知られてしまったため、自ら「在日脱北者人権連合」の会長を買って出た。
金さんは大阪市生野区出身。家族とともに北送船に乗船したのは9歳の時だった。北韓では簡易ライターのガス交換で生活をしのいでいた。93年のこと。漏れたガスに練炭の火が引火し火事に。真っ先に気になったのは家に掲げた金日成、金正日親子の肖像画だったという。焼失は免れたが、煙で写真の色が変色していた。北韓では大変な犯罪行為だった。労働党や当局から厳しい追及を受けた。
細々とした商売さえ妨害を受けるようになり、食うや食わずの生活に陥った。98年、中国への脱出を決意。国境を流れる豆満江を徒歩で渡った。だが、脱北者の弱みで足下を見られ、「仕事をしても給料さえろくにもらえなかった」。ポッタリチャンサ(行商)をしてなんとか食いつないだ。02年1月、モンゴル経由で韓国へ。さらに08年には日本へと戻った。
金さんは脱北後、北韓に残る娘らに衣類などを仕送りしてきたが、昨夏から連絡が取れなくなった。「私の脱北のせいで政治犯として捕らわれたのでは」と心配する。だが、「怖がってばかりでは前に進めない。われわれが実態を知らせなければ、北韓も変わらない」と、自らの体験を訴える活動も展開していく。
(2010.6.9 民団新聞)