教育は、人間そのものと同じくそれ自身が一つの普遍的な目的であって、なにがしかの党派的な目的追求のための手段であってはならない。
教育の自由は、事実を教える義務に忠実であろうとする当事者たちの努力によって初めて保証される。また、公的教育の作業は、その教育の内容を知ろうとする他者の自由な批判を排除できない。総連の朝鮮高級学校で現在採用されている「歴史教科書」についての以下の分析は、広義には教育の普遍性を求める観点から、狭義には子弟の教育に苦慮する在日同胞の理解と判断の一助になればとなされた。在日同胞社会における歴史の歪曲を正すことは、祖国統一のためにも必要である。
分析の対象となった教科書は、『現代朝鮮歴史』の1巻、2巻、3巻。きわめて恣意的な内容を持つこの歴史教科書は、60年以上におよんだ総連組織による歴史の歪曲と個人崇拝扇動の、ほんの一端を示すにすぎない。
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歴史教科書の特徴
金日成賛美の羅列…教室に父子2つの肖像画
ソ連による「解放」伏せ
第1巻第1編のうち、9ページから28ページまでのわずか20ページの間に、「(敬愛する)金日成主席」「主席様(におかれては)」「金日成将軍」の語句が37回登場する。
この結果、金日成は政治的に常に正しく、また、人格的に完全な、神のような人物であるとの印象が、学習する生徒に対して与えられる。
この部分は、1945年の解放から50年までの期間を扱っているが、北韓の解放が旧ソ連の軍事力によってなされた事実は伏せられている。
ソ連の独裁者スターリンは、ソ連において、またその衛星国において、徹底した個人崇拝政策を採用し、権威主義による社会統治をめざした。各国の指導者をその国内で神格化し、最後に各国の指導者の上に君臨するスターリン自らを最高の神格的権威として立てた。
周辺衛星国の指導者に必要な唯一の資質は、スターリンに対する「忠誠」であった。ここに、晩植や金枓奉ら多くの年配の指導者たちを短期間におしのけて、わずか34歳の青年が北韓における唯一のトップとして君臨できた秘密があった。
金日成はソ連の軍事力を背景として北韓の指導者となった。
だが、もちろんその事実は伏せられており、すべてが金日成への賛美にすり替えられている。
朝鮮労働党と総連が金日成の誕生日を「太陽節」と称し、韓民族(朝鮮民族)を「金日成民族」と宣伝していることは周知の事実である。
今この瞬間も、日本のこの地にある朝鮮学校の教室で、二つの肖像画を前に韓民族(朝鮮民族)は「父なる首領金日成将軍の民族」なのだとする教育が行われている。
そして、教室を飾る肖像画は、やがて金正恩が加わり、三つになろうとしている。
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「朝鮮戦争」の記述
廃虚化を「解放」と美化…開戦責任を南側に転嫁
第1巻の74ページから巻末の112ページまでは、朝鮮戦争(韓国戦争)の叙述である。
74ページから78ページまでが①「戦争前夜の情勢」、79ページから100ページまでが②「朝鮮戦争の開始と拡大」、101ページから108ページまでが③「戦時期の在日同胞の状況と闘争」、109ページから112ページまでが④「朝鮮人民の偉大な勝利」となっている。
①「戦争前夜の情勢」では、米国が日本の沖縄を中心として「日本を朝鮮戦争の攻撃基地、補給基地、修理基地に転換させた」と記述。また、南朝鮮(韓国)の国軍兵力を増強して「いたるところで軍事基地を大々的につくることで戦争準備をととのえていった」とする(75ページ)。
「戦争」の責任を南側に転嫁するための、ながながとした周到な布石である。
②「朝鮮戦争の開始と拡大」では、「米帝のそそのかしのもと、李承晩は50年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争へと拡大した」と叙述する。
これに対して「共和国政府はただちに李承晩『政府』へ戦争行為を中止することを要求し、もし進攻をやめないときには決定的な対策をとることを警告した。しかし敵は戦争の炎を引きつづき拡大した」とする。
つづいて、「敬愛する金日成主席様におかれては、…共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反攻撃に移るよう命令をお下しになった。さらに6月26日には『すべての力を戦争勝利のために』という放送演説をつうじて武力侵犯者を掃討するたたかいへと全人民と人民軍将兵をふるいたたせた。反撃に移った人民軍部隊は…6月28日ソウル解放戦闘をくりひろげ…11時30分にはソウルを完全に解放した」と記述されている。さらに、「大田解放戦闘」などの記述が続く。
一斉侵攻でソウル占拠
そして、わずか3年余りの間に300万人以上の人命を失わせ、南北の全土を廃虚としたこの悲惨な戦争について、「戦争がおきてから1カ月あまりの間に南朝鮮地域の90%以上と人口の92%以上を解放した」と誇らしげに述べる(84ページ)。
これで分かるように、6月25日から6月28日までの北側の行動には、同族間で全面戦争を遂行する危険性について何のためらいもうかがわれない。戦略的な作戦だったことがわかる。
今日では、旧ソ連からの資料などによって、朝鮮戦争は、金日成が事前にスターリンの許可を得て計画的に進めたものであることが、動かしがたい事実として明らかになっている。
事実関係としても、当時の韓国軍は北韓地域の都市に何らの攻撃も行っていない。にもかかわらず、北韓軍は6月25日からの38度線での全面一斉侵攻により、わずか3日後にはソウルを占領している。
このむごたらしい同族間戦争の責任が、北韓当局にあることは事実そのものが証明している。
朝鮮戦争について南側に責任があるとする「現代朝鮮歴史」の記述は、まったくのウソである。
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何より金王朝維持…同胞には百害無益の代物
周知のように、北側のこの冒険主義的な全面戦争計画は、米軍を中心とした国連軍の介入によって挫折した。中国軍の支援により、かろうじて38度線を維持することに終わった。
しかも北韓の援軍要請で50年10月に参戦した中国軍は戦争指揮権を握り、北韓軍はその配下に入った。中国軍の彭徳懐総司令が中朝連合軍の総司令官に就任し、作戦は彭徳懐が毛沢東の指示を受けて取り仕切っていった。
「金日成は朝鮮人民軍最高司令官の肩書きを保持するものの、戦争の作戦指導からは完全に排除された」(和田春樹「朝鮮戦争」/岩波講座東アジア近現代通史⑦アジア諸戦争の時代)。彭徳懐は金日成に「この戦争は、私とマッカーサーとの戦いであり、貴下が口出しする余地はない」(50年10月)と言い放ったとも伝えられている。
51年7月から始まった休戦交渉も、毛沢東が管轄していた。休戦交渉本会談の場で総指揮をとったのは、彭徳懐から全権委任された中国軍代表の解方少将だった。
ところが歴史教科書では「全世界の進歩的人民は、祖国解放戦争を勝利に導かれた敬愛する主席様を『偉大な軍事戦略家』、『反帝闘争の象徴』として高く称賛」「祖国解放戦争で卓越した軍事知略と指揮によって敵に殲滅的打撃を与え、祖国の歴史に不滅の業績を積まれた敬愛する金日成主席様」などと自画自賛している(111ページ)。
いかなる立場に立つにせよ、「戦争」の犠牲と南北分断の固定化については、北側に戦略的な結果責任が問われなければならないはずである。
だが、金日成は、自らが開始した民族相食む戦争に責任を取っていない。それどころか「祖国解放戦争」などと美化、休戦協定が調印された7月27日(53年)を「米国から降伏書を勝ち取った勝利記念日」と称して大々的に祝ってきた。権力を世襲した金正日は97年4月には、7月27日を「朝鮮解放戦争勝利の日」に定め、国家的名節(祝日)に制定している。
このように金日成王朝維持のための金日成神格化と「3代世襲」にむけて、嘘で塗り固められた歴史教科書は、在日同胞にとって百害無益であり、破棄されてしかるべきだ。
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金正日の「政治生命体論」
現在の北韓指導者である金正日の「政治生命体論」は、社会は一個の「政治生命体」であり、「首領」がその「政治生命体」を領導し代表するとしたものだ。
人民を手段や道具とみなす
この「理論」は、社会を構成する「人民」を指導者の意図を実現する「手段」と位置づけ、個々の「人間」を国家権力の「道具」とみなす。実に、単純で幼稚な思想である。単純で幼稚であるが、おそるべき非人間的思想である。
この「理論」を「社会主義」によって弁護することはできない。本来の「社会主義」理論とは縁もゆかりもないものであり、「社会ファシズム」と呼ばれるべき「全体主義」の典型的な論理である。
その源流はスターリン主義を改悪した金日成の「主体思想」にあるが、それをさらにいっそう改悪した粗雑な論理が、まさに金正日の「政治生命体論」である。
しかも、この「理論」には、「3代世襲」というおまけまでつくことが明らかになった。
このおまけつきの「理論」は、そのまま現在の総連の思想的立場であり、朝鮮学校の教育における公的指標となっている。この現実を反映しているものこそ、朝鮮学校の「歴史教科書」といえる。
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『現代朝鮮歴史』の編成
第1巻/第1編・自主独立国家建設のための朝鮮人民の闘争 第2編・祖国解放戦争
第2巻/第3編・新たな戦争の危険を除去し、共和国での社会主義の基礎建設と南朝鮮での民主化のための闘争 第4編・外国勢力の圧力と再侵略策動を退けて、共和国で社会主義工業化を実現し、南朝鮮で軍事独裁に反対する闘争 第5編・「二つの朝鮮」でっちあげ策動に反対し、共和国で全社会の主体思想化を実現し、南朝鮮で「維新」独裁に反対する闘争
第3巻/第6編・政治・軍事的な緊張状態を解消し、共和国での朝鮮式社会主義の強化と、南朝鮮での自主、民主統一のための闘争 第7編・民族の尊厳と自主権を守り、共和国での強盛大国の建設と南朝鮮での反米自主、民主化のための闘争
(2011.6.22 民団新聞)