「無知と幻想こそ敵」…警鐘鳴らし続けた亡命13年
北解放の執念継承を
10月10日の意味
北韓にとって10月10日は意味深い日であろう。旧ソ連の共産党の全面的な支援と指揮のもとに、朝鮮労働党の前身である朝鮮共産党北朝鮮分局が今から66年前のこの日に創建された。北韓は以来、この日を「朝鮮労働党」の創建日としている。
ところで、昨年10月10日、南北間で大きな事件が同時に起きた。まず、金正日の3男、26歳になった金正恩が、後継者として対外的に公式発表されたことがそうだ。
北韓は昨年9月28日、党代表者会議を開き、金正恩を労働党中央軍事委員会副委員長に任命し、金正日の後継者に実質上推戴した。そして、彼の顔を世界に見せるために10月10日、党創建65周年を慶祝する大規模軍事パレードを行い、金正恩を主席団の真ん中で金正日と一緒に紹介した。労働党が金日成、金正日を経て3代目の金正恩の手に渡ることを意味し、金氏王朝の3代世襲を公式化する日となったのである。
北韓で「慶祝行事」が行われていたまさにその時、韓国では労働党の主体思想担当秘書だった黄長先生が亡くなった。平凡ではない人物はやはり、北韓において意味がある日に天に昇ったようだ。韓国にきて13年がたっていた。多くの人々が胸を痛めた。
黄先生は1997年2月12日、北京駐在の韓国総領事館に亡命した。そのニュースは瞬く間に全世界に広がった。海外の有名な放送局が筆者に電話で、黄秘書の亡命をどう思うのか聞いてきた。筆者はためらわずに次のように答えた。「ソ連共産党の理論担当秘書スースロフがアメリカに亡命したようなものです」。
モスクワ総合大学哲学科を卒業し金日成の理論担当書記、金日成総合大学総長、党科学担当秘書および国際担当秘書、最高人民会議議長を歴任、数十年間も金父子を最側近として補佐した人物が黄先生だった。
北韓が全世界に《自慢》した主体思想も黄先生の頭から出たものだった。北韓の最高位幹部席である党中央委員会秘書が最大「敵国」である韓国に亡命したことは、北韓政権に類例のない打撃を与えた。
北韓が今でもご神託のようにあがめるその主体思想の創始者が韓国に亡命したことに、金正日の怒りが極に達したことは自明である。黄先生の家族と親戚、友人、先輩後輩のなんと2000余人が政治犯収容所の露と消えた。
黄先生の脱北後、北韓指導部は北韓エリート階層の大量の体制離脱を阻止するために、韓国政府が黄先生を迫害したと宣伝した。しかし、黄先生は韓国で住宅、乗用車、警護車、生活費など長官級以上の待遇を受けていた。韓国政府は黄先生が死去するとすぐに1級勲章の国民勲章無窮花章を追叙し、国家元首や国家有功者が安置される大田国立顕忠院に最大の礼節を持って迎えた。
もちろん、黄先生は安らかな生活だけを享受したわけではなかった。血縁と身近に接した数千人を失ったことは言うまでもなく、黄先生を苦悩させた色々なものを正すために戦った。
脱北者に期待も
そのひとつが韓国国民の北韓に対する無知と無関心、さらに北韓に対する幻想を正すための闘争だった。黄先生がいくら北韓の首領独裁の悲惨な現実と住民たちの奴隷のような生活を話しても、少なくない韓国国民の耳にはそれが他の国の事のように聞こえたのだ。
黄先生はこういう現実に屈しなかった。北韓独裁の属性を韓国国民に知らせ、対北韓戦略はどのように立てなければならないのか、北韓人民を首領独裁からどのように解放し、民族の平和的統一を早めるために何をしなければならないかを、絶えず力説した。
黄先生は、韓国に定着した脱北者らも祖国の統一と統一後の和合に重要な役割を果たす宝であり、その力を育ててひとつの隊列にまとめれば大きな力を発揮するといつも強調した。
現在、凍土の北韓を離れ韓国に定着した脱北者の数が2万3000人余を超えた。脱北者が黄先生の望みどおりひとつの隊列に固まる時、どれほど大きな力が出てくるだろうか。「個人の生命より民族の生命がさらに貴重だ」として、生の最後の瞬間まで民族の統一と未来だけを考えられた黄先生の遺志を育てなければならないだろう。
近づいたXデー
統一が近づいているのは明らかだ。夜明け前が一番暗い。金正日の顔色は病者のそれだ。北韓の国家経済はすでに崩壊し、一種の市場経済とも言うべき広場経済が作動している。北韓住民らの民心も金父子独裁政権から離れている。
戦争の防止と民族の統一を夢見てソウルに来られた黄先生の高貴な夢は、近い将来必ず実現される。
(国家安保戦略研究所戦略室長)
(2011.10.19 民団新聞)