「表現の自由」に一石
師岡康子弁護士が3年余りにおよぶ欧米留学の成果を生かして『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書、岩波書店)を上梓した。著者はヘイト・スピーチの悪質なものは法規制すべきという立場。イギリス、ドイツ、カナダ、オーストラリアの事例を紹介しつつ、規制の必要性と許容性、具体的な在り方まで丁寧に論じたのが類書にない特徴だ。「表現の自由」をなにより大事にする日本の法曹界に一石を投じたのは間違いない。
言葉の暴力直視を
法規制へ実態調査急ぐ
「ヘイト・スピーチは単なる表現ではない。マイノリティーに属する人たちへの言動による暴力。憲法学者の多くはただの表現だから、実害はないと思っているが、そうではないんだということを訴えたかった。また、戦争やジェノサイドに結びつき、民主主義社会そのものも破壊する」
弁護士として被害の実相を見てきただけに、具体的な事例も挙げた。
「ヘイト・スピーチは侮辱や名誉毀損、業務妨害にとどまらないもっとひどい害悪をもたらす。精神的に傷つき、PTSD(外傷後ストレス障害)が長く続く。死を選ぶ人さえいた。仕事を辞めたり、辞めざるをえなかったり。学校へ行けなくなった子もいた。生活自体、そして財産にも取り返しのつかない害悪をもたらす」
何人かの弁護士からは、「表現も法規制することはありうると気付かされた」といった内容のメールが届いた。3カ月間苦労して書き上げただけに、喜びもひとしおのようだ。
北韓が日本人拉致の事実を認めた02年も「朝鮮人、死ね」、「植民地時代に朝鮮人を皆殺しにしておけばよかった」といった差別的表現や、チマ・チョゴリを切り裂くといった人種主義的動機に基づく犯罪行為が多発した。
著者は弁護士会で差別禁止法や国内人権機関の設置を訴えたが、ヘイト・スピーチの法規制については弁護士会内部でも反対する者が多かったという。説得するために「もっと勉強しなければ」と、留学を思い立ったのが、本書の執筆につながった。
日弁連の留学斡旋制度を利用して07年9月、米国へ。9カ月間、ニューヨーク大学ロースクールで学んだ。さらに08年には英キール大学大学院、10年にもキングズカレッジのロースクールで研究を続けた。11年に日本に戻ってきてから発表してきた論文が岩波書店の編集者の目に止まった。
米国、英国、ドイツ、カナダという4カ国の差別禁止法を取り上げたのは、日本の研究者がアメリカとヨーロッパに注目しているためだった。「日本よりもっと進んでいるアジアの身近な韓国の例も取り上げたかったが、時間と枚数が足りなかった」
著者が本書で特に強調したのは、「ヘイト・スピーチは差別構造の一部であるから、差別構造全体を見直す政策とそれを制度化した法制度が必要であり、ヘイト・スピーチ規制はその中に位置づけられるべきである」ということ。「当面、まずやるべきことは実態調査」だという。「表現規制による濫用を防ぐためにも、何のためにどういう行為を処罰する必要があるのか、実態調査で差別の事実を明らかにして、差別を規制する法をつくるべきだ」
(2014.3.19 民団新聞)