掲載日 : [2003-10-16] 照会数 : 3380
「強制連行」碑文では対立 群馬県立公園に韓国人犠牲者追悼碑(03.10.15)
建立へ市氏団体が譲歩
「労務動員」で妥結…「全国的な前例になる」のを恐れた県
【群馬】第2次大戦前、韓半島から強制連行され、群馬県内各地で不慮の死を遂げた韓国人犠牲者のための追悼碑が、近く高崎市内の県立公園に建つことになった。県有地に韓国人犠牲者のための強制連行追悼碑が建つのは全国でも初めてとされる。
碑の建立に取り組んでいるのは、5年前から県内に残された韓国人と中国人の強制連行跡地で調査、掘り起こしに取り組んでいる市民団体。碑文をめぐる県との2年越しの話し合いがこのほどほぼ合意に達したもの。
碑の表面に「記憶 反省 そして友好」の文字を刻む。裏面には日本の国策のため多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、群馬県でも事故や過労で少なくない犠牲者が出たことを明記。この事実を忘れず未来に向かって相互理解と友好を深めていくとうたう。
この碑文内容は市民団体の当初案からは大幅に後退したものとなっている。例えば「強制連行」の用語が「労務動員」に。全国各地の強制連行者数についても「100万人を超えた」から「多くの」に変わった。「過酷な労働」は「過労や事故」という表現に置き換えられた。これは県が「全国的にも前例になる」のを恐れたためと見られ。
市民団体側は「強制連行」の用語について「教科書や判決でも使用しており、すでに定着している」と強調。県側との10数回の話し合いでは怒号さえ飛び交ったという。当事者として両者の話し合いに同席したことのある民団群馬県本部関係者が「(県の対応は)ひどいなー」ともらしたことも。
結局、95年に当時の村山首相が発表、現在も日本政府の統一見解ともなっている「戦後50周年談話」の内容の範囲内で双方が歩み寄った。
「建てる会」の猪上輝雄事務局長は「一時は県有地をあきらめるとの話も会で出たが、人目につかない所に建てても意味がない。私たちは完璧なものを建てたかったが、不十分でも強制連行があった事実に触れ、反省の文言が入ったことで妥協した」と述べた。
会では県からの県立公園使用許可がおりるのを待って、年内にも建設作業に入る。
(2003.10.15 民団新聞)