掲載日 : [2004-03-31] 照会数 : 5848
38年ぶりによみがえる 記録映画「海女のリャンさん」完成(04.3.31)
故辛基秀氏が撮影した60年代の「在日」風景
桜映画社制作…家族の絆テーマ
1世女性の半生たくましく
様々な事情から韓国と北韓、日本に生き別れとなって暮らすある在日同胞家庭の家族の絆をテーマとした長編記録映画「海女のリャンさん」(桜映画社制作)が完成した。朝鮮通信使の研究家として知られる故辛基秀氏が手がけた38年前の未完の映像記録を引き継ぎ、日本人カメラマンが作品として完成させた。
映画の主人公、梁義憲さん(87)=大阪市生野区=は70歳まで危険な海女の仕事を続けた。毎年3月から秋までほぼ毎日、鹿児島から対馬、三重、静岡、神奈川と日本各地を渡り歩き、大阪にいる冬場は同胞の経営する餅店で働いた。
稼いだお金で家族を養い、済州道在住の次女と北韓で暮らす3人の息子の生活も支えてきた。
次女は梁さんが解放直後、四・三事件で身の危険を感じて日本に逃れる際、仕方なく済州道で暮らす母親に預けた。当時、4歳だった次女は足手まといになるからと、船主から乗船を許されなかった。次女は59年に梁さんに引き取られたが、母親不在の生活に耐えられず、再び済州道に戻った。
次男と3・4男は日本でのいわれなき差別と貧困に将来を悲観、67年までに相次いで北韓に渡った。3人ともまだ高校生だった。4男を新潟港に見送った梁さんは「このまま大阪に連れて帰りたい気持ちでいっぱいでした」と当時を振り返っている。
映画には出稼ぎ先の対馬で梁さんに外国人登録証明書の提示を求める刑事や、新潟港から北送船に乗り込む息子を見送る梁さんの悲痛な表情など60年代の貴重な実写フィルムが多数、挿入されている。
これらの記録は辛氏宅で日の目を見ず、長らくお蔵入りしていたもの。辛氏は梁さんを通じて在日1世女性の労働と生活の一端を記録映画として残そうとしたが、果たせなかった。
00年12月、取材で「在日」の映像記録を探していた原村政樹監督は、たまたま辛氏の主宰する青丘文化ホールでこのフイルムを見た。原村監督は生活者としての梁さんのたくましさ、そしてなにより家族の絆、母親としての愛情がひしひしと伝わってくるのに感動したという。
原村監督は辛氏の了解を得て01年から3年がかりで梁さんに再取材。半生をたくましく生きぬいた一人の人間の普遍的な記録として作品をよみがえらせた。
4月、東京で上映
16㎜カラー90分。第1回上映会は4月9日、午後6時45分から東京ウィメンズプラザホール地下1階(地下鉄千代田線表参道駅下車)で開く。1000円。
問い合わせは電話03(3478)6110桜映画社。
(2004.3.31 民団新聞)