掲載日 : [2003-03-12] 照会数 : 3807
わたしの勤務校の今年の卒業式に、大きな位置を占めたのは法律化された「日の丸」と「君が代」。昨年までこの歌は奏鳴だったが、今回から斉唱。これで兵庫県下、全ての高等学校が斉唱になったとのことである。
学校長は式辞の冒頭で、メキシコ国籍1名、在日コリアン12名、計13名の在日外国人生徒が、日本人生徒330名と共に巣立つことを紹介。日本人のみが卒業するのではない、21世紀は自国民だけでなく、多国民多民族との共生の時代である、と説いた。教師の良心の言葉としてわたしは受けとめた。
けれど昨年のようなチョゴリ姿の生徒は、式場にいない。否、われわれが生み出せなかった。淋しい限りである。在日コリアン生徒らの約8割が、全校一斉人権学習特設ホームルームの場で自分の立場をカムアウト。だが、新たに本名で学ぶ「本名宣言」にまでいたらず。式場で誰の目にもとまるチョゴリは、カムアウトでとどまる生徒には重いのか。
北朝鮮の「拉致」「核」問題が言い知れぬ圧迫感を、この在日コリアンの子らに与えている面もある。他方、同問題は日本人に、在日に対する差別的侮辱的な行動を誘発させている。「民族学校生徒の国立大学受験不可」(文科省)、大阪府立高校でのチョゴリの卒業を「キャバレーのようだ」と揶揄(府議会議員質問)。さらには「日本は相互抑止力として核武装を」(拉致被害者救う会佐藤勝己)とまで扇動させている。氏はかつて共に反民族差別の闘いをになったオピニオンリーダーだった。人権の教育は狭められ、40年昔に戻ろうとしているのか。
(2003.03.12 民団新聞)