掲載日 : [2008-11-06] 照会数 : 7053
フラッシュ同胞企業人<28>新鮮さと味にこだわり
[ 1945年京都生まれ。大阪経済大経営学部および高麗大経済学部卒。キンカツコーポレーション社長、アクア・アート会長。息子2人。孫5人。 ]
活魚を直送する「都会の漁港」
キンカツコーポレーションの金孝烈社長
「都会の漁港」をキャッチフレーズに、安くて品質の良い魚を届ける。日本をはじめ、韓国や豪州、カナダなど世界の漁場から集結した活魚を、総水量200㌧の水槽に入れる。扱う魚類は50種を超え、魚貝・海老類を含めれば、数え切れないほどだ。
倒産を教訓にし
流通センター(京都・上鳥羽)は19時間作業。2部体制で、朝4時半の出荷担当者は夜11時半から作業を始める。生魚をそのまま運んだり、生け締めしたものを朝9時までに届ける。「6時間以内に食べれば、シコシコしたおいしい刺身が食べられる」
同センターは南インターチェンジの隣に位置し、名神に乗れば、大阪や滋賀、神戸などがすぐだ。「鮮度ではどこにも負けない」と自信のほどを見せる。07年度売上額は8億7000万円、社員35人。
1968年の大学卒業当時、韓国人というだけで就職難の時代だった。建築関係の仕事に携わっていた兄からの紹介で活魚を扱うようになり、㈲近畿活魚センターを立ち上げた。
素人だったため魚を殺す失敗を繰り返し、1年半で倒産。しかし、その後も個人で営業を続け、1軒1軒を回った。「信用の積み重ね以外に、成功の道はないことを知った」。数年で軌道に乗り始め、月商1500万円ほどまでに成長した。
そこで兄を誘い、共同で本格的に取り組み、78年に近畿活魚を設立。ところが経営に関して兄と意見が合わず飛び出し、80年、別会社の近畿活魚水槽設備を起こした。
当てた水槽販売
「5年間、料理屋を回りながら水槽を売りまくった。水槽の設置と同時に、魚も納品したので、兄の会社も一緒に成長できた」。生魚にも責任をもつ、水槽と魚のセット販売が顧客を安心させ、当たった。
ところが88年を境に、水槽の売れ行きが止まり、魚の販売も減少した。「生きた魚をすぐにさばいた刺身は、歯ごたえはあるが、味がない」ということが、理解されるようになったからだ。「牛肉と同じで、生け締めにしてから数時間後、身が引き締まった段階で食するのがおいしい」
水槽をはずす料理店が後を絶たず、水槽販売業は採算が取れなくなった。「活魚の時代が終わり、方向転換せざるを得なかった」。そこで思いついたのが、インテリア系の水槽。92年にアクア・アートを設立した。当初、「魚の泳がない水槽」なるものが理解されず、認識を変えるのに数年かかった。
「エアを出すことで照明を当てると、キラキラ光る。私自身気に入ったので、絶対に売れると思った」。特許も取得。この分野で現在、韓国にも進出中だ。
兄の死後、倒産寸前だった近畿活魚の営業権を購入するのに合わせ、02年、(株)キンカツコーポレーションに社名変更。本格的に活魚販売に乗り出した。「この業界のトップをめざしたい」
学生時代、第2回夏季学校生として母国を初訪問。その時の印象が強く、高麗大学に留学した。「学生のハングリー精神、人生に対する心構えが違う。学ぶことは多かった」。人生体験のすべてをプラスに転化している。
◆(株)キンカツコーポレーション=京都市南区吉祥院嶋高町43(℡075・691・9779)
(2008.11.5 民団新聞)