掲載日 : [2003-03-19] 照会数 : 3895
学生時代、大学新聞の編集に携わっていた。貧乏新聞社の数少ないドル箱は大学合格者を発表当日に掲載した新聞の発行だった。嵐のような編集、販売が一段落した夕方、高校生から電話が入った。「自分の友達が合格したはずなのに、新聞に名前がないんです」「至急調べます。後でお電話を」。構内の掲示板に走って名簿を見たが〞彼〟の名前はない。手を尽くして分かったのは、彼が在日で名簿には民族名が載っていたこと。そして友達は彼が在日であることを知らないということだった。
どう説明したらいいのか、考えがまとまらないまま電話を待ったが、結局掛かって来なかった。友達はこの間に何かを知ったのだろう。私が在日と名前の問題に直に接した初めての機会だった。
同じ顔のエトランゼとの共存に日本人はいまだに戸惑い続けている。「沿岸の工場地帯の一つ手前の国道周辺にある北系の第三国人部落」(石原慎太郎「機密報告」)といった表現は姿を消したが、インターネットの匿名世界にはコリアンというだけで思想、感性を一方的に決め付け誹謗中傷する書き込みがあふれている。
一方で最近の在日作家、映画監督らの活躍は華々しい。私は1970年代に「ゴッドファーザー」「ある愛の詩」などイタリア移民を題材にした映画がヒットしたことを思い出す。ベトナム戦争で行き詰まった米国は自らの内にある異文化、歴史に目を開くことで活力を取り戻せたのではないか。日本の食卓をキムチが変えたように、在日は日本社会を変革する力を持っている。そのためにも在日が民族名を名乗ってもらえれば。
(2003.03.19 民団新聞)