掲載日 : [2009-07-15] 照会数 : 10182
<日本ロッテ>辛格浩氏は会長に…創業61年、光る経営姿勢
[ さらなる国際化へ夢をふくらませる辛格浩氏 ]
韓日軸に国際化
祖国・民団に貢献あまた
民団中央本部の顧問でもある辛格浩氏(86)がロッテとロッテホールディングス(本社=東京都新宿区)の経営を専門家に任せ、このほど会長職に就任した。両社の後任社長には佃孝之ロイヤルホテル前社長(65)が就任した。韓国ロッテの会長職はこれまで通り続ける。1948年6月の創業以来、61年間にわたって社長を務めてきた辛格浩氏は、民団に対しても草創期から物心両面で貢献してきた。
辛会長は1922年10月、韓国慶尚南道蔚山郡(現・蔚山広域市)で5男5女の長男として生まれた。42年、無一文で日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら文学徒の夢を抱いた。
早稲田大に通った辛会長は、日本人の友人の勧めで5万円の投資を受け、カッティングオイル生産工場を設立し、事業家の道に入った。爆撃で工場は全焼したが、崩れた軍需工場で石けんを作って再起した。
事業的な才能が表れ始めたのはこの時からだ。進駐軍の影響でガムが人気を呼ぶと、辛会長はすぐにガム事業に飛び込んだ。風船ガムは飛ぶように売れた。こうしてロッテが設立された。
日本で成功を収めたのは誠実さと信頼のゆえ。辛会長は友人からの借金5万円を1年半で完済、感謝の気持ちで住宅1軒を贈った。当時、会社員の平均月給は80〜100円程度だった。
67年に辛会長は韓国にロッテ製菓を設立し、母国への投資を本格化させた。辛会長は本来、重化学会社の設立を希望していたという。日本の工業化を見ながら将来性があると判断したのだ。石油化学事業を政府に提示したが、LGグループが事業者に決定したため断念。
結局、実現したのはホテル業だった。「漢江の奇跡」といわれる経済建設の源である「セマウル運動」の真っ最中、朴正煕大統領から「韓国には一流のホテルがない。ぜひ君が作ってくれ」と言われた。
辛会長は「ホテル業は利益を出すのが難しいが、韓国に(一流ホテルが)なかったので将来性がある」と考えた。世界各国の一流ホテルを回って勉強し、日本の帝国ホテルをモデルにした。
97年3月にオープンした釜山ロッテワールドの開館式では、日本の元首相4人が一緒にテープカットを行った。日本でも珍しいことで、辛会長の幅広い交遊が分かる。
今年86歳を迎える辛会長だが、日本国内の上場企業代表取締役のうち最高齢CEOだ。中国・ロシアでも事業を拡大中である。
現在も1カ月間隔で韓国と日本を行き来するシャトル経営をしている。奇数月には韓国に滞在しながら、韓国ロッテの30余系列会社の経営現況について報告を受ける。
生涯守ってきた3つの経営理念
生涯守ってきた3つの経営理念がある。①理解できない事業には手をつけない②可能性がある事業を始める時は徹底的に調査をする③事業に失敗しても誰も被害を受けない範囲で資金を借り入れる。
ロッテ製菓の企業コピーである「お口の恋人」は、日経BPコンサルティングによる「コーポレート・メッセージ調査」の「想起率」ランキングで5年連続1位となっている。
(2009.7.15 民団新聞)