掲載日 : [2009-10-15] 照会数 : 8973
驚きと共感を込め 「昭和のくらし博物館」企画展
[ 「どぶろく」作りに使ったイースト菌など
] [ 在日の衣・食・住を資料とパネルで紹介した部屋 ]
日本人の知らなかった〞隣人〟の生活と歴史
展示資料200点 1世から聞き取りも
「昭和」という時代をたくましく生き抜いてきた在日同胞の衣・食・住に焦点をあてた企画展「ポッタリ(風呂敷包み)ひとつで海を越えて」が、東京・大田区の「昭和のくらし博物館」(大田区南久が原2-26-19、小泉和子館長)で開かれている。小泉館長を中心とする8人のスタッフが、一昨年から在日1世への聞き取り作業を重ね、新鮮な驚きと共感を持って資料を展示している。
会場は同博物館2階、4畳半のスペース。異国で厳しい差別のなか、民族的アイデンティティーを大切にしてたくましく生き抜いてきたことを、大小の説明パネルと多彩な生活用具で知らせている。企画展のために収集した資料は約200点に及ぶ。
食生活ではキムチを漬けた甕や60〜70年代に実際に使われた焼肉用ロースター、唐辛子やニンニクやゴマなどをすりつぶした道具が、当時の食生活の一端を物語る。実物の米こうじと米、イースト菌の3点を並べ「どぶろく」の作り方も紹介している。
在日2世が71年に実際に着用した婚礼衣装には白地に刺繍で白の吉祥文様が施されていた。お産を前にしつらえられた産神床やわかめスープも再現した。解放から間もないころの集落の写真は、セピア色に変色していた。そばに置かれたヨガン(おまる)が当時の劣悪な住宅事情を思い起こさせてくれる。
入り口にぽつんと置かれた風呂敷包みは、在日の渡日事情を如実に物語るもの。詳細は「ある家族の歴史」のなかで示した。モデルは1924年に慶尚北道から渡日し、02年に三重県桑名市で死去した李秀淵さん(91)とその一家。写真や年表などとともに李さんが愛用したパックル(ご飯茶碗)やスッカラ、チュジョンジャ(祭祀や晩酌用に使ったやかん)、慶州李氏の族譜も展示している。
小泉館長は「日本人である私たちは、傲慢にも身近にいた隣人のことをほとんど知らずにいた。企画展として取り上げるのは重い課題だった」と振り返る。スタッフは一昨年から在日の衣食住を中心に1世から聞き取りを重ねてきた。在日韓人歴史資料館や川崎市ふれあい館にも足を運び、関係者からアドバイスを仰いだ。調べるうち、「忍耐強く、ユーモアを失わずに生き抜いてきたバイタリティーに驚嘆し、心から感動した」という。 同博物館は、日本の戦後の庶民生活を伝え、考えていくために設立された。51年に建てられた公庫住宅をそのまま利用、96年までは小泉館長が実際に家族とともに過ごしてきた。企画展会期は10年8月末まで。月曜日、年末年始は休館。入館料500円(小中高生300円)。問い合わせは℡・FAX03・3750・1808。
(2009.10.14 民団新聞)