掲載日 : [2009-10-28] 照会数 : 5894
婦人会の担い手育み35年 愛知オモニバレー
[ 毎年、白熱した試合が展開される
] [ 昨年の第34回大会から ]
11月に記念大会
【愛知】婦人会愛知本部(徐美也子会長)の伝統スポーツ行事、オモニバレーボール大会が今年で35周年を迎えた。各支部とも1年に1回開催される大会での優勝をめざして日々、汗を流している。このことが組織活性化の原動力となってきた。11月に開催される第35回記念大会には豊川支部が初参戦し、出場チームは14支部中、11支部に広がる。35年間の歩みを関係者の証言で浮き彫りにした。
豊川支部初参戦 11チームに拡大
かつて母親の胸に抱かれてお乳を吸っていた乳児が成長してコートに立ち、他家に嫁がせた娘さんは選手として出場しているという。こんなところに35年という時の流れを感じさせる。スポーツを通じて世代交代がスムーズに進んでいることが特色だ。
乳飲み子抱え参加
許奉伊さん(婦人会愛知本部顧問)が懐かしそうに振り返った。「みんな乳飲み子を抱えていたので、練習の際は一緒になって子どもたちの面倒を見ていた」。
スタート当初は選手確保に苦労し、練習場所を探すのも大変だったようだ。河照子さん(婦人会愛知本部監査)によれば、道路の高架下や河川敷で練習した。それも裸足だったという。
オモニバレーを発案したのは丁海龍さん(民団中央本部常任顧問、当時は民団愛知本部事務局長)。ちょうど日本社会でママさんバレーがはやり始めたころのこと。組織活性化に思い悩んでいた丁さんは、「婦人会でもつくろう」と呼びかけ、比較的会員数が多かった東中と一宮の2支部でスタートさせた。
丁海龍さんの後を継いだ丁海遊さん(民団愛知本部議長)は元体育教師だったことから、選手を猛特訓で鍛えた。朴甲順さん(婦人会愛知本部顧問)が練習の厳しさをいまでも覚えていた。「レシーブでは両手が動かないよう前で縛った。いまのオモニバレーがあるのは議長のおかげ」。
徐善順さん(63、婦人会岡崎支部副会長)は数少ない1期生で、いまも現役選手として活躍中。徐さんは「バレーを続けてきたことで団結力、統制力が養われ、強いては婦人会強化につながった」と証言している。
練習重ね仲間意識
名南支部で30年以上にわたって活躍する李淑子さんは「今年で35周年を迎えるなんて感慨無量。お互いに練習時間を調整しながら集まり、一生懸命に打ち込むことでチームワークが生まれ、人間関係が強固になりました」という。同じく林重子さんは「同じ韓国人なので気兼ねなく話せる。秋の大会で他の支部の仲間と会えるのが何よりも楽しい」と語ってくれた。
徐会長は、「各支部チームは愛知の伝統であり私たちの誇り。また、財産でもある。選手を束ねる各支部会長には感謝したい」と話した。また、梁東一民団愛知本部団長は、「私は大会を見るのを毎年、楽しみにしている。全14支部にチームができるまで継続してほしい」と期待している。
優勝は岡崎が最多
第1回大会は75年5月18日に開催。戦績は岡崎支部が優勝15回。第22回大会以降は優勝から遠ざかっていたが、昨年は13年ぶりに優勝を奪回。次いで優勝回数の多いのは中村支部、豊橋支部、名南支部の順。
(2009.10.28 民団新聞)