掲載日 : [2010-05-19] 照会数 : 5276
旧友との再会60年ぶり実現 在日学徒義勇軍同志会 里帰り
[ 民団大阪本部の朴英哲副団長と名刺を交換し、握手を交わす趙承培さん(右) ]
【大阪】6・25韓国戦争に参戦し、除隊後も出征地である日本への帰還を果たせないまま、やむなく国内に留まった在日学徒義勇軍同志会の一行16人が60年ぶりに里帰りし、旧友らと大阪で再会を果たした。これは6・25韓国戦争参戦60周年行事の一環。東京に続いて、4月27日には民団大阪本部(金漢翊団長)主催の歓迎行事に臨んだ。
韓東日さん(80、ソウル市在住)は地元大阪市出身。日本との国交正常化後は1年に1回、私的に里帰りしてきたが、民団から歓迎を受けての里帰りはこれが初めて。洪性仁さん(民団大阪本部常任顧問)と再会を喜びあった。
同じく趙承培さんも大阪市出身。民団大阪本部に勤務していたとき志願した。当時、生野支部にいた朴英哲さん(民団大阪本部副団長)とは60年ぶりの再会だったが、しばらくは名前と顔が一致せず、少し戸惑った表情だった。
一部はこれまでにも日本の土を踏んでいるが、公式な形で日本を訪問したというのはこれが初めてという参加者がほとんど。東京、大阪と続いた心づくしの歓迎に感無量の面持ちだった。歓迎会に先立って、金団長は、「もう日本語は忘れたでしょう?」と聞いた。すると、出席者から「アニンミダ(いいえ)」の声。
金徳煥さん(82、釜山市在住)は1日遅れながら日本で発行されている大手日刊紙を購読している。孫は慶応大学に留学中だ。日本に帰れないと知ったときのことを振り返りながら、当時は「ショックだった」という。「日本にいた親は苦労しました」といいながらも、自らの流転の人生については口を閉ざした。
在日学徒義勇軍同志会がまとめた『在日同胞6・25韓国戦争参戦史』によれば、642人が志願し、無事帰還できたのは265人。242人は1952年のサンフランシスコ条約発効と同時に日本の入国禁止措置により、国内にとどめ置かれた。戦死者は135人に上った。
(2010.5.19 民団新聞)