掲載日 : [2003-05-29] 照会数 : 4078
200年前の分かれ道 橋田欣典(共同通信記者)
1800年、朝鮮半島では西洋の科学技術など実学を保護した国王、世祖が死去した。学者の大弾圧が始まり、朱子学以外の一切の外来思想を拒否する攘夷に染まる。
そして清国を蛮族と軽蔑しながらも、無批判に従属する事大主義、地方の意思を認めない中央集権は維持された。
その頃、日本では化政文化が真っ盛り。蘭学、国学から川柳、狂歌、浮世絵とさまざまな思想、文化があふれかえった。諸藩は交戦権こそ奪われていたものの自治権が広く認められ、財政難ゆえに商品作物の開発など改革が進んでいた。
将軍も天皇も絶対的権威ではなかったこの時代を日本の教科書は「社会の行き詰まり」と否定的に扱う。19世紀、アジアに押し寄せる列強に排外一辺倒で臨んだ朝鮮は敗れ、攘夷・開国、尊皇・佐幕で国論が四分五裂した日本は独立を保った。
朝鮮通信使が断絶したのもおよそ200年前。2つの国が対照的な歴史をたどった最大の要因は「思想の多様性」と考えるのは間違いだろうか。
21世紀の今、日本は逆の道を歩んでいる。米国の世界戦略に従属しながらも、外国人との共存を拒む排外主義が高まり、世論が一枚岩になることをよしとするねじれた意識。アジアと産業の相互依存が増す中で、かつての高度成長の栄光にすがる日本の〞小中華〟信仰は強まる一方だ。
思想の多様性を支えるのは低俗なエセ文化人が語る「民族性」でも「DNA」でもなく、政治の力が大きいことを200年の歴史は証明している。過去にすがらず前に進む現在のアジアの人々の姿をまぶしいと思う日本人は自分だけだろうか。
(2003.5.28 民団新聞)