掲載日 : [2003-06-11] 照会数 : 4586
アン投手の甲子園 藤原史朗(「全外教」代表)
今年のセンバツ高校野球大会で2度目の延長戦(史上初)に勝利し準決勝に進んだ東洋大姫路高校野球部に、ベトナム人のアン君がいる。主将でエース。彼は継投手の支援をうけつつも終わりまで投げ抜いた。
1カ月後、その彼と家族を軸に在日のベトナム人たちの生活の断面を紹介する番組が放映された。感慨深かった。父は元南ベトナムの警官。従軍と敗戦・ベトナムの統一・アメリカの「名誉ある撤退」という混乱下、何の希望もなく家族3人はボートピープルに。途中タンカーに救われ難民として日本へ。そして子が生まれた。父母は安(アン)らかで幸福(フォク)な未来を願ってグエン・トラン・フォク・アンと命名した。
父母は姫路の皮革工場で、兄は町工場で働く。幼い弟が野球に興じる姿を見た兄は、素人だが、日本語で書かれた読本を手に野球を教えた。背丈が高くなるよう自分の食事まで弟に分け与えてきた。弟は成長し特待生で東洋大姫路高校に入学。今や一家の期待を背に、在日ベトナム人たちの希望の星として輝く。
将来を思い父は日本国籍取得をすすめた。彼は国籍も名前も変えたくない。今の名前が大好きと言う。「日本人は名前を変えないじゃないですか。軽く言えることじゃない。大事なこと」と口調は重い。安本だったら彼の歩みはどうだったろうか。
選抜予選の試合で本校はアン君の前に準パーフェクトで負けた。通称名で活躍の生徒に「先に名前で負けとるやないか」と私は問うた。彼は苦笑した。在日の多くのプロ野球選手で王貞治の他に本名の一軍選手はいたのであろうか。
(2003.6.11 民団新聞)