民団中央本部は、民団を北韓独裁に追従する勢力(従北勢力)に組み込もうとした「5・17民団・総連共同声明」の発表から5年に当たる17日、韓国中央会館で特別講演会を開いた。民団を破滅の淵に立たせたこの5・17事態は、全国組織が総力を挙げて収拾・克服したとはいえ、その教訓が持つ意味はいまも大きい。来年には、団員らが在外国民として初めて国政選挙(4月の国会議員選挙、12月の大統領選挙)に参与する。しかも、それを前にした2月には民団中央3機関長の選出がある。総連や韓統連など在日の従北勢力と韓国内の従北勢力は連携し、2大選挙を通じて韓国に対北宥和政権を誕生させることを目論んでおり、そのためにも民団の指導権掌握に躍起になっている。李度■(イ・ドヒョン)、朴斗鎮両講師の講演内容を要約、紹介する。(■=王へんに行)
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李ドヒョン氏「韓国左派の過去と現在」
権力の中枢に浸透…70年代から高等考試を利用
繰り返す葛藤健全性を阻害
韓国は国際的に権威のある各研究機関から、将来性が高く評価されている。しかし、常に問題になるのが過激な労働争議やデモなど、繰り返される社会的葛藤だ。そこには、北韓に追従する従北勢力が根を張っていることも見逃せない。
これには歴史がある。1946年に左翼統一戦線の民戦(民主主義民族戦線)が結成された。彼らの発表によれば、民戦傘下の政党および社会団体の構成員がなんと797万7281人。当時の韓国の人口は2000万を少し超えたくらい。人口の3分の1近くが左翼だったことになる。
これにはもちろん虚勢もあった。しかし、300万ないし400万の共産主義者、あるいは同調者がいたと見ていい。主な政党としては朴憲永率いる朝鮮共産党(10万5081人)、呂運亨を中心に結成された朝鮮人民党(17万人)などがあった。
1948年8月15日に大韓民国政府が樹立されると、政府の努力でそのうちの140万人ほどは転向した。ところが、大半が6・25韓国戦争によって、再び転向した。左から右へ、右から左へ戻ったのだ。彼らが南で良民にテロを加える先兵になった。
1953年の休戦協定によって、金日成は全面南侵に失敗した。だが、武力闘争を放棄したわけではない。1968年1月21日の青瓦台襲撃未遂事件など、各種ゲリラ事件がたびたび引き起こされた。これらがことごとく失敗すると金日成は、発想の転換をした。それが公になったのが1974年だ。その対南工作は3つに大別できる。
選挙の利用はチリに学んだ
第1は、選挙を利用すること。南には北と違って選挙がある。チリのアジェンデは左翼ながら、選挙を通じて権力を握った。この経験を活かした長年の工作によって実現したのが、結論から言えば金大中大統領の登場だった。
第2には、高等考試の利用。これさえパスすれば司法府、あるいは行政府など、大韓民国の権力機構のどこにでも堂々と浸透できる。北にとってこれは、活用度の高い本当にいい制度になっている。第3は、労働団体や学生組織、教会への浸透であり、心理作戦だ。
高等考試について詳しく言えば、建売住宅が300万ウォンで買える時代の1975、6年に、1人当たり300万から1000万ウォンを持たせて工作員を南に浸透させる。朝鮮労働党直営の、寝泊まりしながら受験勉強する考試院が10カ所ほどソウル市内にあった。そこへ考試を受験する学生を募集する。
頭のいい学生にはデモの先頭に立たせないで受験勉強をさせる。朝鮮労働党直営の考試院から司法試験に合格する学生が1考試院平均で6人。10カ所で60人。2004年までの単純計算で2000人近い。韓国には朝鮮労働党の考試院出身の判事が1800人いると言われる。
一つの例を挙げると、韓国の歴史教科書は北韓に甘い半面で、大韓民国は初めから生まれてはいけない国であったかのように教える歪曲教科書がほとんどだ。そう教える教師たちの、全教組という左翼団体がある。
ある試験で、ソ連や東欧がみな滅びたのに北韓はなぜ滅びなかったのかとの問いに、学生たちは「北は金日成主席を中心に心一つに団結していたから」と答えた。6・25戦争についても、どちらが始めたかは重要ではない、どうして戦争が起こったのか、その原因を探るのが重要だというのが全教祖の教えだ。
全教組に所属する教師の名簿をインターネットに公開した国会議員が告訴され、多額の賠償金を出せという判決が下された。これは朝鮮労働党でなければ下せない、常識では考えられない判決だ。この議員は約2億ウォンほど取られた。私も約2億ウォンくらいさまざまな左翼団体から搾り取られた。それが彼らの活動資金になっている。
韓国の全人口の約18%が左派だという統計がある。全人口が大体5000万、その18%は900万ないし1000万くらいだ。これが民主党や民主労働党などの支持基盤になっている。
この支持基盤というのは非常に重要だ。大統領になるには支持基盤がなければならない。李承晩大統領の基盤は当初、左翼を除く全国民だった。中でも、以北出身者が結束した西北青年会が強力だった。朴正煕大統領は言うまでもなく軍部だった。金泳三大統領は支持基盤がなく、弱体な政府になった。金大中大統領は少なくとも300万以上の湖南勢力だった。
左翼勢力は統合を唱えており、統合さえすれば少なくとも900万ないし1000万が支持基盤となる。彼らの投票率は高い。それに千何百万の中道層からプラスアルファを見込める。それで、来年の選挙は非常に憂慮される。左翼の政策には共通項が3つある。
国家保安法の撤廃も視野に
第1は国家保安法撤廃だ。同法があるために彼らの活動が制限されている。金大中がなくそうとしたが、大韓民国は昨日今日できた国ではない。そう簡単にはいかない。だが、今度また左派政権が登場すれば、まずなくそうとするだろう。
第2は、駐韓米軍の撤退だ。韓国軍は駐韓米軍への依存度が高い。米軍が撤退しても北韓軍を撃退する力が韓国軍にあるのか、非常に疑問だ。北韓軍は部隊要員の5分の1がいつも戦時体制をとっている。韓国軍はそうではない。延坪島事態とか天安艦事態で憤る前に、どうしてそれを許したのか、反省する力が韓国には欠けている。駐韓米軍が撤退したら、南ベトナムが1日で滅亡したような事態にならないとの保障はない。
第3は、2000年の「6・15南北共同宣言」の実践だ。連邦制を容認したこの宣言は、大韓民国の憲法4条とは真正面でぶつかる。連邦制とは実質上、反統一方案であり、北韓の韓国への寄生を合法化するものだ。韓国国会での承認もなく、金大中個人の考えを盛り込んだ宣言に過ぎない。
こうした状況で大韓民国は、来年4月の総選挙と12月の大統領選挙を迎える。左翼に負けないようにする方法を私は知らない。しかし、可能性として一つは、東日本大震災で日本人が一つになったように、国民的体験、共同体認識をつくること。6・25時のように民族的な危機感を共有することだ。
もう一つは、制度の改革である。先進国が皆持っているのに、韓国には今、国民全体の身元の記録がない。誰でも考試を受けることができる。だから徹底的な身元照会制度、それから戸籍制度を復活させなければいけない。それと徹底的な法治、法による統治。不法なものには断固対処する意識の確立が緊要だ。
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朴斗鎮氏「連携強める従北勢力」
民団掌握にも執着…対南工作強化の一環として
「5・17民団・総連共同声明」が発表されたとき私は、「とうとう来たか」「在日社会が金正日独裁に支配されるかも知れない」という危機感を強く覚えた。
2000年の「6・15南北共同宣言」以降、「民族同士」が韓国と在日社会で連呼され、「統一幻想」が振りまかれるなか、同年9月から民団の頭越しに総連幹部の韓国訪問が実施され、国内の北韓追従勢力(以下、従北勢力)と連携を深めていた。民団に、総連と「和合」するよう執拗な圧力がかかり始めた。
今だくすぶる再発の可能性
民団と総連は91年の世界卓球選手権千葉大会で南北統一チームの共同応援をするなど、いくつかの「和解」イベントはあったものの、いずれもお互いの存在を侵さない一過性のもので、5・17事態はそれとは根本的に異なる。事態は民団の自律的な力によって短時日内に収拾され、最悪の結果は避けられた。だが、再発の可能性はなくなっていない。事態は「太陽政策」を震源としており、その条件が完全に克服されていないからだ。
韓国では「6・15共同宣言」と「10・4南北首脳宣言」(07年)の流れが遮断されていない。90年代半ばの北韓の危機状況を見て、386世代の主体思想派は挫折し、一部は対北民主化運動に方向転換したが、一部は太陽政策に自己救済の場を見つけ、政権中枢に入り込んだ。
在日社会でも、総連を離脱して立ち位置を見失った同胞たちが金大中政権登場以降、太陽政策に拠り所を求めた総連の衰退が民団の強化につながらなかったのはこれが一つの要因になっている。
「民族同士」とは、北韓から見れば「太陽政策逆利用戦略」のキーワードであり、金大中政権からすれば「対北迎合路線」を粉飾するフレーズであった。
北統一戦線の側面担う組織
5・17事態が再発する可能性を集約すれば、「『民族同士』の理念」なるものによる①韓国からの総連支援と②総連の対民団工作の2つの要因を挙げることができる。
①‐。5・17事態は、総連のそれ以前の対民団工作と質的に異なるところから生まれた。南北両政権の後押し、中でも韓国の公権力、政界、言論界、市民団体の支援が大きく作用した結果だ。
公権力は韓統連に対する大法院の「反国家団体」規定を適用除外にし、朝鮮籍者に臨時パスポートを乱発し、在日と韓国の従北勢力間の連帯を強化させた。民主労働党をはじめとする各党の一部国会議員、従北市民団体、一部言論機関は総連や韓統連を激励し、朝鮮学校などへの莫大な支援も行ってきた。
こうした下地作りを行ったうえで、本国当局と駐日公館の要人が連携し、政府補助金をテコにして民団に圧力をかけ、2006年2月の民団中央団長選挙に介入した。河丙執行部誕生後は、その行動を積極的に後押しした。
②‐。総連はなぜ、対民団工作を続けるのか。それは、総連が朝鮮労働党統一戦線戦略の側面部隊であり、対南工作の一環だからだ。その目的は、労働党規約に明記されているように「南朝鮮革命」と北主導による統一である。
総連は金氏王朝による韓半島支配確立の道具であって、在日同胞の利益を擁護する団体ではない。権利擁護の運動を行うのは、北主導の統一を実現する総連組織の防衛と大衆獲得の方便に過ぎない。
対民団工作は「団合事業」と呼ばれ、総連結成以降、一貫して推進されてきた。対南工作員にするための、韓国籍同胞の一本釣りも活発だった。キーワードは「民族」「統一」「平和」である。
この三つを破壊してきたのは他ならない北韓独裁と総連でありながら、その責任を韓国側に転嫁しつつ、巧みな言動で民団に働きかけ、浸透する。民団に対するこうした工作が続く限り、5・17事態が再発する可能性は消えない。
韓国内の従北勢力から支援を受ける総連はいま、来年の総選挙と大統領選挙での勝利に注力し、民団中央団長選挙にも狙いをつけている。こうした動きは、むろん公然化されていない。いかにも無関心であるかのように装いながら、水面下で躍起になっているのだ。
北韓が韓国の大統領選挙に対する関心を強めたのは、1970年にチリで、社会主義のアジェンデ政権(73年にクーデターで崩壊)が暴力革命ではなく、選挙を通じて誕生してからだった。金日成はこれにヒントを得て、自らの対南工作もこの方式でいけると判断、韓国の野党最有力者への支援を本格化した。同時に、高級公務員への道を開く高等考試合格者などの包摂も指示した。
補選の結果に危険な兆候も
こうして韓国の各分野に進出した従北勢力は、金大中・盧武鉉政権下でいっそう勢力を拡大し、現在の李明博政権下でも継続して勢力を増殖中だ。「市民団体」ばかりでなく、公の政党、教職員団体、労働者団体、学生団体にまではびこり、各種マスコミも掌握している。
この度の再・補欠選挙(4月27日投開票)で、民主党と民主労働党が勝利した。特に、全羅南道順天の結果を見て北韓・総連はほくそ笑んでいる。民主労働党候補が民主党との選挙協力によって全羅道で初の議席を獲得し、院内交渉団体へ一歩近づいたからだ。
民主労働党は韓国で唯一、北韓独裁の手足となる政党と言われる。北韓人権法の制定にも断固反対の姿勢を貫いた。この政党の当面目標は、来年4月の総選挙で院内交渉団体になることであり、同12月の大統領選挙で民主党と選挙協力し、連立政権を構成してキャスチングボードを握ることにある。
順天での民主党と民主労働党の選挙協力は、来年の総選挙、大統領選挙での共闘の可能性を現実化させた。民主党が大統領選挙で600万票を獲得して勝利するために、民主労働党票に目がくらんだ結果である。この戦術が北韓独裁から出ていることは言うまでもない。
再・補欠選挙の結果は、総連を勇気づけた。民主党、民主労働党と連携を強める総連は、自らの影響下にある韓国籍同胞を総動員し、両野党勢力を支援しようとしている(ちなみに総連は、朝鮮学校の児童・生徒の過半数が韓国籍だと公言している)。同時に、来年2月の民団中央団長選挙にも影響力を行使すべく、虎視眈々と機会をうかがっている。
(2011.5.25 民団新聞)