掲載日 : [2003-06-25] 照会数 : 3717
渡来の祭り、渡来の芸能 前田憲二(映画監督)
韓国へと、祭りを取材する度ごとに実感することは、己の心と体が、あらゆるさくから解放されることである。
それはどうしてか、と考えると、日本の祭りには、「ハレ」と「ケ」の両面が存在するのだが、韓国の祭りは、すべて「ハレ」なのだ。
取材を何回も重ねるうちに、その意味が解けた。韓国の祭りには外連がない。つまり、ごまかすことや、まぎらすことがない。
日本の祭りは、神々を隠し、その神々に面会しに行くという、じれったさが表面に出ている。これが文化の違いである。韓国各地には農楽や、「ソノルム・クッ」という祭事がある。「ソノルム」とは、牛が遊ぶことを意味し、「クッ」とは巫祭をさしている。つまりこれは牛の仮装による農事で、親牛と子牛をわらで作り、その被物を青年がつけ、種まき、農作業、木臼打ち、雑穀運び等々を百姓と牛が一体化し、おもしろおかしく演じる。
奈良県明日香村の「御田植神事」、その他、日本各地の「御田植神事」に、ソノルム・クッは大いなる影響を与えたのだろう。
スサノオノミコトは日本で一番有名なカミだが、別名は「牛頭」で、そのカミは新羅国の牛頭山に降臨し、高句麗から日本列島へとやってきた伊利之使主によって、京の八坂神社に祀られている。
「日本の祭り」「日本の芸能」、これらの源流は、朝鮮半島を無視しては通れない。過去の歴史をあるがまま見ることが大切だ。 私はいま、岩波書店から「渡来の祭り・渡来の芸能」朝鮮半島に源流を追う―を上梓した。
是非、御拝読を乞う。
(2003.6.25 民団新聞)