掲載日 : [2003-07-02] 照会数 : 4269
歴史の冷たい歯車 橋田欣典(ジャーナリスト)
「植民地朝鮮の日本人」(高崎宗司著、岩波新書)の中に、小野田セメントの社長を務めた安藤豊禄氏が、朝鮮半島で勤務していた時の回想録が紹介されている。
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創氏改名はできないから「退社させてもらいたい」という朝鮮人技師の申し出に対して「創氏改名は個人の自由という建前だから少しも構わぬ。そのまま在社していなさい」と慰留した。おかげで、朝鮮が独立したとき「創氏改名を非とした、韓民族に理解ある日本人だというので、あらゆる場合に特別の取り扱いを受けた」
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自民党の麻生太郎政調会長は、同じくセメント会社の社長を務めていた。国によって歴史認識は変わるものと主張する向きの方々もいるようだが、会社が変わると歴史認識が違ってくるとは、つゆ知らず。麻生氏の東大での発言に感心すること、しきりである。
歴史上の出来事は常にいくつかの顔を持つ。いろいろな方向から見なければ全体の形は分からない。
体を動かすのが大儀なのか、一方向から見続けることを是とする人もいるようだが。
最近、帰還事業で新潟港から北朝鮮に渡り姿を消したオペラ歌手の永田絃次郎(金永吉)氏のことを知った。
彼が戦争中に暗たんたる気持ちでレコードに吹き込んだ「いざゆけ、つわもの、日本男児」の曲を大音響で鳴らしながら街宣車は万景峰の新潟入港阻止を訴える。歌こそ日本人の録音を使ってはいるけれど。
歴史の歯車は時に皮肉で冷酷だ。そんな中で必死に生きる人々の気持ちを少しでも伝えたい。
(2003.7.2 民団新聞)