掲載日 : [2003-07-02] 照会数 : 4648
民族教育コーディネーターのすすめ<下> 金光敏(03.7.2)
子や親の孤立回避へ…地域「相談員」の役割担う
民族教育コーディネーターが一番力を発揮すべきは、民族差別事象の対応であろう。
他の都道府県教委がどう対処しているか把握していないが、大阪府・市教委は、学校現場で事象が発生した場合、教委への報告を義務付けている。
こうしたシステムを全国化していくことは大切だ。
大阪府・市教委では、差別事象の全容や背景を把握した上で教訓化をはかり、再発の防止をめざして取り組んでいる。
私は、事象発生時に当該校の自助努力で解決されれば、二度と差別が発生しない学校環境を創り出すことも可能だと考えている。が、なかなかそれは理想論で、現実はそうでない。
差別事象の解決が、被害当事者の「怒りの度合い」で決まってしまう。
すなわち、「怒り」が収まるに従って、「無関心化」されていくということだ。
これでは差別事象はなくならない。また、差別事象が報告されるだけまだいい方で、差別事象を「もめ事」程度に取り扱い、教員の無関心から気づかれない件もあり、実際は報告件数の倍以上ではないかと思われる。
それが全国的な規模になると、件数は途方もない。
ある他県の教育運動家が、大阪の例をとり、大阪は差別事象が多いと発言し、ひんしゅくを買ったが、少なくとも文部科学省は公立学校の現場で発生する差別事象を把握すらしていない。
こうした中で、コーディネーターの役割は大きい。
何よりも差別事象は、閉鎖的な学校内で発生し、教員の意識や教育行政の人権保障機能の未確立が「差別し放題」「され放題」の環境を生み出している。
ならば、なおさら役割は大きくなる。民族教育コーディネーターがその地域の相談員として存在すれば、子どもや親を「一人ぼっち」にすることはない。
私は、民族教育権の保障の必要性を、子どもや保護者を誰一人として「一人ぼっちにしてはならない」に置いている。
保護者が子の通う学校に物申すことはとても勇気のいることだ。
ましてや成績や学校行事についてではなく、子どものアイデンティティに関することとなると、現行の学校制度はほぼ無策で、外国人の子どもの成長を保障する体制はないに等しい。
だから、同胞は学校社会から放置される一方となり、公立学校が、過去同胞の子どもたちの可能性を摘み取る役回りを担ってきたことの否定はできないだろう。
そうした場に、同胞側の立場から専門的な知識やスキルを持って対応できる存在がおれば、同胞家庭は、もう少し余裕を持って学校に関わることができるのではないか。実は、大阪の民族学級の指導者である民族講師はそうしたコーディネートも担っている。
しかし、民族講師だけではなく、これから民族団体の文教担当者や保護者会、地域の同胞団体がそうした役割を積極的に担っていけば、子どもたちや保護者を「一人ぼっち」にはさせず、もっと元気に学校社会を自分のものにすることができるのではないか。
同胞の子ども、保護者にもっといい学校環境を求めて、一緒に学校に関わりませんか。
(2003.7.2 民団新聞)