掲載日 : [2003-09-25] 照会数 : 4192
タブーを打ち破れ 石高健次(朝日放送報道プロデューサー)
日朝首脳会談から丸1年が経ったが、5人の拉致被害者が生還を果たした以外は何ら進展がない。なぜなのかと考えるとき、2つのタブーの存在に行き着く。
国民の生命を守るという国家安全保障の原点について、この国は公に論議をせず、ほとんど考えないままできた。安全保障論議では、当然、「軍事」や「武力行使」が実体として前面に出てくるのに、その論議自体を避けて通ってきた。つまり、タブーとしてきたのだ。なぜ、そうなったのか。 かつてアジアの国々へ軍事力で植民地支配したことの〞贖罪と反省〟の意識を余りに強く引きずるからでは思う。「国防」という言葉を口にすれば文化人とみなされないような風潮が戦後の日本を支配してきた。
70年代後半、スパイ防止法が国政の場で取り上げられようとしたことがあるが、すぐに立ち消えになった。思えば、この頃、拉致犯罪が繰り返されていたのだ。
もう一つのタブーは、北朝鮮・総連という存在に対するものだ。自らの経験からいうのだが、不都合を覆い隠し、真実を追求する者を攻撃するという北朝鮮・総連の体質がもたらしたものといえる。「へたに触ると怖い」というムードがメディアの中にあった。
拉致被害者は、そんな2つのタブーの犠牲者ともいえる。
タブーが多い社会ほど、市民は不自由で幸福から遠ざかり、泣き寝入りを強いられる。
そう考えていくと総連にとって北朝鮮本国もまたタブーの多い存在だ。帰国者という〞人質〟をとられているにせよ、北での「人間弾圧」から目をそむけないで欲しい。
(2003.9.24 民団新聞)