掲載日 : [2003-10-01] 照会数 : 5455
在日同胞に対する民族教育の明日のために-②-(03.10.1)
黄迎満民団中央副団長
歴史性・特性を生かす…「人類的な知」体得しながら
3、在日同胞民族教育の方向
同胞社会、日本社会そして世界的な変化が在日同胞の民族教育の理念、内容、方法などに対して根本的な対応と改革を求めています。
世界的な規模で人類の生存と発展のための教育の意味と内容が問題視されており、さらに「世界化」が急速度で進行している状況で教育の改革が問題になっています。
専門家ではない私としては、教育の一般的な定義を正しく述べることはできませんが、「教育とは、人類の歴史が始まった時から今日まで「学び」を通じて「人生の意味と価値」そして「生き方」を体得すること」と常識的な規定をしてみます。
時代と条件、そして環境の変化に応じて、教育の意味も内容も変化しており、教育の方法も色々な形態で発達してきました。
特に最近の教育は、一般的な趨勢では、「共生」、「人権」、「平和」を主な内容として、地球規模の適切な人類生存のための「持続的な発展」を指向しています。そしてIT技術の発達で教育方法面でもマルチメディア(多様な媒体)を活用し、国家、民族間の壁を越えた「人類的な知」の体得を指向しています。
「共生」教育は自然と人間との共生だけでなく、民族と民族の共生、理念を別にする宗教間の共生、さらには異なる文化間の共生等々、世界的な規模の「共生」を指向しています。
「人権」教育もまた、自己の自由と権利だけでなく、他人の自由と権利を尊重し、ひいては社会的な弱者(子供、女性、老人、障害者など)人間の尊厳性を守る教育を指向しています。
「平和」教育もまた、現代の戦争が核、生化学武器の発達によって人類の共滅を招きかねず、人類の生存と共存のための教育、ひいては平和の維持に貢献することのできる国際人の養成を指向しています。
人類の生存のための共通課題である地球規模の「適正で持続的な発展」を維持するために、環境破壊、環境汚染、生態系危機などから人類滅亡をもたらす危機を克服できるような科学技術、経済発展(これは国境を越えて共同行動が必要)のための教育的な努力に力を注いでいます。
在日同胞の民族教育の方向も、このような普遍的な教育の内容を基礎にした人間教育とあわせて、在日同胞の歴史性と特殊性を生かす教育でなければなりません。
在日同胞は日本軍国主義による植民地統治のために日本に渡り、あらゆる抑圧と迫害の中で、国のない民族の悲哀を誰よりも痛切に体験してきました。また、解放以後にも日本政府の排外主義的な抑圧と同化政策による差別の中で、これに対抗しながら今日の同胞社会を作り上げました。
日帝時代の歴史的な体験と解放以後半世紀を越える期間、日本政府、日本社会の差別と偏見と闘ってきた共同経験は、在日同胞の特殊な歴史性です。また、今日でも自己の民族的な出自を正直に明かして生きることができない日本社会、目に見える、または目に見えない差別と軽蔑の中で、民族として、人間として尊厳を尊重しない日本社会、「共生」と「人権」という人類的な普遍性が受け入れられない日本社会、これがまさに在日同胞社会の特殊性を語っています。
そういうわけですから、日本という異民族の中での在日同胞の民族教育というものは、韓民族としての根元を理解し、その特性(歴史、言語、風習、文化等々)を身につけ、代を継いで日本人と共生しながら日本社会が持っている制約を克服していける力と、国際社会で活躍できる能力を育てることが、在日同胞の民族教育の基本方向と言えるでしょう。
4、民族教育の明日のための提言
いかに同胞社会と世界的な変化が、在日同胞の民族教育の根本的な対応と改革を要求したとしても、これを断片的、または短絡的に対応することはできません。特に、このような変化と要求を推進していく在日同胞の意志と能力と条件を考慮しない、いかなる改革も成し遂げることはできません。
したがって、時間をかけて、中・長期的な展望を持って全同胞的な対話と討論を経て、合意を導きながら推進していかなければならないでしょう。ここで言う全同胞的というのは、韓半島での平和定着と共存の趨勢を勘案し、いつかは統一される在日同胞社会を念頭に置いた表現です。そうだとすると、私たちに無限の時間が与えられているわけではありません。遅くても2010年までには改革の土台は構築されていなくてはなりません。
このようなことを前提にして、学校教育と社会教育の2つの側面から政策的な方向を考えてみたいと思います。
(2003.10.1 民団新聞)