掲載日 : [2016-04-06] 照会数 : 12970
組織生活45年に休止符…民団埼玉本部の景民杓さん
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民団埼玉本部の景民杓団長(69、写真)が3月18日、第41回定期大会をもって2期6年の任期をまっとうした。民団大宮支部(当時)でのアルバイト勤務を皮切りに事務部長、本部組織部長、事務局長(副団長兼任)とキャリアを積み、ついに団長にまで押し上げられた。この間にブランクはなく、組織生活は計45年に及ぶ。
事務部長から団長へ
休みなく走り続けた 団長在任中は新規事業を次々と立ち上げた。次世代育成へ「オリニ歴史探訪」、新定住者に同胞社会や民団の歴史を知らせようと「新旧定住同胞の和合交流の集い」、外部から日本人講師を招いた「多文化共生埼玉交流の集い」、「夏マダン」、運動会など。景さんは、「組織を活性化していくには、常に新しい事業を立ち上げていかないと」と持論を述べた。
71年7月、留学のために来日。川口市内の知り合いの勧めで民団大宮支部に週3回アルバイト勤務し、学費を稼ぎながら大学を卒業した。
当時は総連系同胞の母国訪問団事業が活発化していたとき。景さんは参加者に付き添って故郷まで案内し、親族探しも手伝った。その後、民団に入った同胞は少なく見積もっても17、18人はいるという。一度関係ができると最後まで世話を焼くのは景さんの真骨頂だ。身寄りのないまま亡くなると、遺骨を抱いて「望郷の丘」に安置してきた。
90年代初頭から全国で始まった「10月のマダン」では関東地協に高麗神社を会場にしようと提案し、「大成功」をおさめた。各地から駆けつけたバスは合わせて48台。各県本部による農楽競演を実現し、りんごなどの物産を仕入れ値で販売したというのも、景さんならではのアイデアだった。
思い入れのある事業といえば2001年、金三植団長当時に埼玉韓国会館を新築移転したことも忘れられないという。場所はさいたま市役所、浦和区役所、警察署と隣接し、県庁もすぐそば。景さんが「埼玉県の霞ヶ関」と呼ぶ好立地だ。過去2回チャレンジしても意見がまとまらず、3回目で成功させた。建設委員会とは別に、ごく少数の常任委員会を構成して機動的に動ける態勢をとったことが功を奏したようだ。
http://remont-kvartirspb.com 実務者は景さんを評し、「休日で特別な用事がなくても民団に出てくる」とあきれ顔。景さんは、「民団に入ってから1回も休暇を取った覚えはない。両親が亡くなったとき以外は風邪を引いても出てきた。これからもしばらくは新団長をサポートしていきたい」と話す。卒業にはもう少し時間がかかりそうだ。
(2016.4.6 民団新聞)